普通に読んでいればなんてことないお話。だけどひとたび気づくと、なにやら違う光景が見えてくる……「意味がわかると怖い話」を紹介する連載です。
サークルの合宿で、Y県のK湖畔へやってきた。宿泊先は大きな調理場を備えた大学の研修所で、20名ほどのうち、料理が好きな私とタケウチ君、レナちゃんの3人が炊事を担当することになった。
研修所は大きな日本家屋をリフォームしたもので、古めかしい見た目に反して中は真新しかった。長らく診療所として使われていた建物で、さらに遡れば地元の大地主の私邸だったそうだ。建てられてから百年以上経っているという。良くも悪くも雰囲気のある外観に、「幽霊でも出そうだな」なんて軽口をたたき合っていた。
期待通りというべきか、「怪奇現象」が早速、初日の晩に起きた。……と言っても、夜中にお手洗いに起きたレナちゃんが、おばけが出たと騒ぎ立てただけだが。
「調理場からシャーッ、シャーッ、って変な音がして、なんだろうと思ってドアを開けたらその途端、何の音もしなくなった」
レナちゃんがどこか楽しげに朝食の席でみんなに語ったのは、まとめればそれだけの話なのだが、彼女と一緒に調理場を使う私としては少々、気味が悪かった。
3人で夕食の準備にかかる時、当然その話になった。
「シャーッ、シャーッ、ってなんの音だったのかな」
「包丁を研ぐ音とか? 昔話の山姥みたいなさ」
「レナちゃんはどう思う?」
「うーん、何かを引っ掻いているような音と言うか……あっ!」
自信なさげに首をかしげていたレナちゃんが、不意にタケウチ君の方を見たという。
タケウチ君はおろし金でショウガを擦っていた。シャッ、シャッ、シャッ。
「その音に似てるかも!」
私とタケウチ君は思わず、顔を見合わせる。
「何それ? 夜になるとショウガをすりおろす幽霊?」
その時だった。
シャーッ、シャーッ、シャーッ……
どこからか聞こえるその音を、3人ともハッキリ聞いた。確かにおろし金で何かをゆっくり擦る音に似ている。怖いという気持ちは失せ、みんなで笑ってしまった。
「昔、このお屋敷で料理をしてた人の霊なのかな?」
「ショウガだかなんだか知らないけど、死んでまでご飯作ることないのにね」
不憫に思えてきたらしいタケウチ君が、「幽霊」に向かって呼びかけた。
「俺がおろしてやるからもう大丈夫だぞ」
音は聞こえなくなった。
翌朝、起きてくると調理場がちょっとした騒ぎになっていた。
板張りの天井の一部が外れて、床に落ちていたらしい。しかも、足跡のようにも見える土汚れがあたりに広がっていて、物騒なのでとりあえず管理事務所に連絡したのだそうだ。
「……調理場に入ってきたんじゃなくて、『出てった』んじゃない?」
私は昨日の調理場でのやり取りを思い出し、誰にともなく呟いた。外れてひっくり返っている天井板に視線を落とす。お札らしきものが貼られていて、引っ掻いたような真新しい傷がついていた。
タケウチ君がかけた言葉のおかげで、「おろし金のおばけ」は成仏できたのかも……天井から空に昇っていくその姿を、私は想像した。
穴の真下にぼんやりと立っていたタケウチ君に、後ろから声をかける。
「タケウチが救ってあげたんだね、きっと」
彼はこちらを振り向いて、にっこりと笑った。
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彼らが聞いた「シャーッ、シャーッ」という、何かを擦るような音は、どうやら天井にいた生き物ではない「何か」が、お札を剥がそうと爪を立てる音だったようです。
下に降りられないよう、天井に封じられていたらしい「それ」が放たれたきっかけは、下から「俺がおろしてやる」と声をかけられたことだったようで……タケウチ君は大丈夫なのでしょうか。
●「招かれる」怪異
「呼ばれると発動する怪異」の物語の歴史は、実はそう古いものではないかもしれません。例えば、「吸血鬼は、招待されないと人の家に入れない」という有名な設定が確立したのは、『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)からだそうで、この時代に「人ならざるものを招く」というイメージが広く受け入れられたのは、19世紀後半の欧米における心霊主義の流行と無関係ではないでしょう。
1848年のアメリカのフォックス姉妹による「霊との交信」騒動をきっかけに、欧米ではオカルトが大ブームとなり、数人でテーブルを囲み、霊を呼び出す「交霊会」が紳士淑女の夜ごとのお楽しみとなっていた時代です。「霊との交信」というアイディアの流行には、この時代のモールスらによる電信技術の飛躍が一役買ったと言います。モールスたちがボルチモアからワシントンD.Cへの電報の発信に成功したのは、フォックス姉妹事件の4年前の1844年のこと。「遠く離れた場所からのメッセージを受信できる」不思議な技術を目の当たりにした人々が、「それなら、いつか死後の世界とも通信ができるようになるのでは」と夢想してもおかしなことではないでしょう。
電信のみならず、科学革命による「従来のキリスト教(主にカトリック)的な世界観では説明しきれないものって色々あるんだな」というカトリック権威の低下は、近代科学への信仰とともに、キリスト教の枠をはみ出した新宗教を生み出すことにもつながっていたわけです。
交霊会のブームが「呼ばれると発動する怪異」という像を生み出したのではないかという説は、日本のいわゆる「学校の怪談」にも援用が可能です。交霊会のためにアメリカでつくられたゲーム盤「ウィジャボード」が、外国船員を通じて日本に入ってきて独自の進化を遂げたのが「コックリさん」であり、「コックリさん、コックリさん、おいでください」と呼びだす交霊のイメージが、「トイレの花子さん」や「四時ババア」といった「特定の手順を踏むと現れる怪異」譚を生んだのでしょうから。
「〇〇してはいけない」から「〇〇すると現れる」への話型の変化は、怪談の役割が時代によって「教訓」から「娯楽」へと変わったことを示しているのかもしれませんね。
●白樺香澄
(出典 news.nicovideo.jp)
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