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    学校教育

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    尾木ママ(画像は尾木ママ オフィシャルブログスクリーンショット

    「尾木ママ」の呼び名で知られる教育評論家尾木直樹が、自身のブログから政府の休校要請に対するコメントを発信。内容を受け、反響の声が相次いでいる。

    ■尾木ママの持論は…

    政府は27日夕方に全国の小中高校や、特別支援学校への臨時休校要請を発表。この内容を受けて多方面で反響が起こっており、尾木ママも同日にブログから意見を発している。

    尾木ママは「緊急措置はコロナ封じ込め対策としては極めて的確だと思います」と休校そのものには肯定的な様子。しかし、「あまりに突然。しかも、企業や職場の責任者への具体的な保護者サポート策の要請もなかったものですから、学校も保護者も大混乱しているのは当たり前です」とも綴っている。

    関連記事:尾木ママ、eスポーツに「脳にダメージを与える危険性」指摘 ネットでは賛否分かれる

    ■問題なのは対応そのものでなく…

    尾木ママは他にも「卒業式の規模縮小した実施方針は良いと思います」など政策の良い部分は認めつつ、「保護者が休みやすい措置をとるよう、雇い主さんに要請することが大切」といった風に疑問を感じる箇所はハッキリと指摘している。

    翌28日放送の『ZIP!』(日本テレビ系)に出演した際も、「休校は正しい判断だがあまりに急で事後のことを考えていない」と強く語った。

    関連記事:尾木ママ、原田龍二の不倫報道に「不倫ではない」と断言 その理由に納得の声

    ■視聴者の反応は…

    尾木ママの意見を受け、ネット上では反響が多数上がっている。「尾木ママの言う通り、現場は大混乱です」「給食に関わる仕事をする身としては、尾木ママの言うように告知が1週間遅かったと思います」といったように、学校との繋がりが深いフィールドで働く人の悲痛な声も多く見られた。

    果たして次は、どういった分野が新型コロナウイルスの影響を強く受けてしまうのだろうか。

    ・合わせて読みたい→体調不良が続く男性 「新型コロナウイルスに違いない」と家族を思って自殺

    (文/しらべぇ編集部・秋山 はじめ

    尾木ママ、一斉休校の措置めぐる持論に反響 「的確と思いますが…」


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     広告、note、TikTokYouTube…。1月31日AbemaTVAbemaPrime』では、最近ネットでバズった若者を特集した。
     

    ■「ミスはバズる」…“早稲田で一番有名な顔面”に


     「JR渋谷駅ハチ公改札口に、印刷データを間違えて送ってしまって、僕の証明写真が掲載されました」。

     昨年末、渋谷駅に突如現れた証明写真の広告が、写真の人物、早稲田大学3年生のオカダダイキさんの“間違って納品した”とのツイートと併せて拡散。ところがこれは狙ったもの。広告会社「GO」のインターン生でもある彼は、同社代表のクリエイティブディレクター・三浦崇宏氏の「フォロワーを1万人に増やす」という課題に応えたもので、「ミスはバズる」というところから発想したのだという。狙い通り、今や、“早稲田で一番有名な顔面”といわれ、フォロワーは1万人を突破した。
     

    ■「アンチは愚か」…月収700万円の中学生

     同じく昨年末、「月収6桁の中学生ブロガー」として話題になったのが、中学3年生のキメラゴンさんだ。「家に帰って深夜3時までゲームして、学校で寝て、を繰り返す生活」から一念発起。しかし勉強して就職をするよりも、とにかくお金を稼ぎたいと、半年ほど前から学校には行かず、『ネットでゼロから稼ぐための戦略』などをnoteの有料記事にして発信。月収1万円に満たないところから、今や月収700万円に達している。

     こうした生き方に、ネット上では「学校で学ぶこともたくさんある」「中学生ブランドで注目を浴びてるだけ」といった批判もあるが、「愚かだと思う。恥ずかしくないのかな?」「別にアリンコにかまれても痛くないでしょ。規模感が違いすぎて痛くないんすよ」と意に介さない。

     さまざまな仕事が舞い込み、この日は大阪へ出張、トゥモローゲート株式会社の西崎康平社長と2時間を超える対談を収録、絶賛された。「基本的に頂いたお仕事は全部受ける。僕にはできないんじゃないかなって思わずに、起きた波に乗り続けるのが、チャンスをものにするのに必要なのかな」。
     

    ■モデルとママを兼ねる17歳の現役女子高生

     松田聖菜さん(17)は、TikTokに投稿した動画がバズり、ギャル雑誌『egg』からモデルとしてスカウトを受けた現役女子高生。それだけでなく、母親としての顔も持っている。モデルの仕事をしに始発で出かける日でも、夫のお弁当を作るため、毎朝5時起きの生活を続ける。

     「5時にお弁当作って、7時から学校の支度して、その間にララの着替えとか、ご飯をあげたりとか。午前中は学校で12時から5時くらいまで撮影して、6時から買い出し行って、7時にご飯作って、そっからお風呂入ったりして、9時になって寝かしつけてるんだ。テスト期間の時は、ひたすらレポートとかやらなきゃいけないから、10時くらいに始めたとしても(寝るのは)2時に終わるとか」。

     それでも松田さんは「傍から見たら大変って思うかもしれないけど、意外といける」「遊びたいとはあんまり思わない。なんでなんだろう。苦じゃないから。今の生活が。ママだからミニスカはいちゃいけないとか爪伸ばしちゃいけないとか言われるけど、ママだからできなくなるのはおかしい。聖菜をきっかけに変わればいいなと思ってて。“ギャルママ”を発信していきたい」と思いを語った。
     

    ■YouTubeチャンネルを次々と手がける“放送作家”

     株式会社チャビー代表の長崎周成さん(29)は、親友であるYouTuberのフワちゃんの“作家”として活動を支えている。芸人、テレビ制作会社を経て放送作家になり、現在はYouTubeチャンネルコンサルとして、これまでの30のチャンネルに関わってきた。

     「テレビは高クオリティなものが毎回求められるところがあると思うが、YouTubeはどっちかというと育成的なところがあって、ダメなところも出していく。それがちゃんと文脈になって、ストーリーになっていく過程を見せることを大事にしている。フワちゃんの場合、インスタがめちゃくちゃお洒落で可愛い。それがそのまま編集に落とし込めてる感じがある」「やらせてる感があるYouTuberは厳しいのかな。男性のディレクターが撮っていて、企画をディレクターが説明してやってるみたいなことはテレビの延長。ただ、YouTubeテレビがだんだん近づいてきてるところはある。例えばヒロミさんが有吉ゼミでやっているDIY企画の視聴率が良いが、あれをトレースしたYouTubeも、すごいハネてる。テレビで跳ねた企画をYouTubeでやってみるのも手だ」。

     お笑いコンビ・平成ノブシコブシの徳井健太は「今から芸人やる人はバカなんじゃないか。YouTuberになって、ネタやって金をもらった方が、有名にもなれる」と嘆き、「はんにゃの川島が出汁のチャンネルをやっているが、誰も見てない。なぜハネないのか」と尋ねると、長崎さんは「単純に知られてないからではないか。芸能人だったとしもバズを仕掛けていかないと、初速が良くても途中で落ちていく。仕掛けは作っていかないと。1人の力では現状、ちょっと無理かもしれない。自分が付けば、ちょっと1週間くらい考えればバズる可能性はある」と語った。
     

    ■副業、あえてフリーでM-1優勝を目指す異色コンビ

     上智大学3年のニシダと広告系の会社で働く港区OLのさーや(24)によるお笑い芸人・ラランド2014年に結成、2019年に唯一のアマチュアM-1準決勝に進出した。上智大学の同期で、お笑いサークルで出会った2人は、数々のタイトルを総ナメするもアマチュアという理由だけで馬鹿にされたこともあったという。

     それでも事務所には所属せず、“副業”として活動を続けている。「M-13回戦の動画を見てくれた方がTwitterで拡散してくださって、バズった」とニシダ。さーやも「川谷絵音さんはツイートもしてくれて、M-1王者のとろサーモンさんも言及してくれた。大学卒業のタイミングで色んな所からお声掛け頂いたが、社会人大学生ということでギクシャクするかもと思い、一旦、自分たちの力でどこまでいけるかやってみようかなと。苦しい思いをしてのし上がっていくところに美学を感じる人も多いと思うが、ちょっと賢く、どうせだったら稼げる方法で行きたいなと思っている。」(さーや)。

     一方、あと大学に残れるのはあと2年というニシダは「どうなんだろう。今後、事務所に行けたらそれが一番いいのかな?」と、さーやを横目に語る。そんなニシダについて、「怠惰で、すべて人任せ」と話すさーやは「私がオファーを受けて交渉して、スケジュール調整もしてる時に、競馬に行ったりする」と暴露した。

     今後の目標について尋ねると、「M-1で優勝したい気持ちはずっとある。事務所に入っていない状態で準決勝までは行けたので、どれくらいまで行けるのか」(さーや)、「今年、決勝まで出るのが目標」(ニシダ)と、さらなる飛躍を誓った。

     彼らのように、バズを生み出すには、常識にとらわれない、新しい発想で行動することが必要なのかもしれない。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
     

    ▶映像:M-1準決勝ラランドに聞く!バズる秘訣

    月収700万の中学生、17歳のママ女子高生、“副業”でM-1優勝目指す芸人…常識にとらわれずバズを生み出す人々


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     1945年1月27日ナチス・ドイツのアウシュヴィッツビルケナウ強制収容所が解放されてから、満75年目を迎えました。

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     今年2020年は、第2次世界大戦の終戦からも、広島長崎への原爆投下からも、また、ナチス・ドイツの滅亡と強制収容所での犯罪が明るみに出てからも75年を迎える節目の年にあたります。

     思い返せば、戦後60年という節目に当たる2005年東京藝術大学奏楽堂でメモリアル・コンサートを開きましたが、あれからすでに15年。

     そして、この間、この歴史の事実を知る人の多くが、この世を去ってしまいました。

     いまや終戦の瞬間に生まれた新生児ですら、日本の厚生省式の表現を採るなら「後期高齢者」という時間の経過。

     私のコラボレーターでもある映画監督、詩人のフランクダイアモンドはベルゲン・ベルゼン強制収容所を6歳で解放されたホロコーストサバイバーですが、幼児期の原体験のいまだ深く引きずっています。

     それどころか、戦時中は生まれていないホロコーストサバイバーⅡ世でありながら、環境遺伝的に強制収容所のトラウマを負って、最近、自ら命を絶ってしまった知人すらあります。

     欧州において、ホロコーストも強制収容所も全く過去の話にはなっていません。

     そんななか、SNSで東大理系院修了の30前後の青年が「アウシュヴィッツを知らない」という話を目にしました。

     ただただ仰天せざるを得ない、そのアウトラインを紹介してみたいと思います。

    アウシュヴィッツは今も使われている?

     何分、SNSで流れてきた情報なのでそれ単体での真偽のほどは分かりません。

     しかし、ここ22年間、東京大学で学生諸君を教えてきて、類似の現象は年々症状がひどくなっているので、「さもありなん」と思わざるを得ませんでした。

     大まかには以下のようなやり取りがあったらしい。

     ある人(も東京大学出身者と書いてありました)が、別の知り合いの、東大理系の大学院を修了した30前後の人に「アウシュヴィッツが解放されて75年なんだって」と話しかけます。

     すると「アウシュヴィッツって何?」と、存在から知らなかったらしい。そこで「ナチス・ドイツの強制収容所だった」と説明すると、「それって今でも使われているの?」というリアクション・・・。

     絶句するしかありませんでした。このやりとりを紹介していた方自身が、東京大学の卒業生であるとのことで、「東大生が全員常識外れだとか、そんな極端なことを言いたいわけではない」と極めてバランスのとれたコメントを付していたのが印象的でした。

     さて、毎年、目黒区駒場にある東京大学教養学部キャンパスでは大学1、2年生を、また文京区本郷のキャンパスでは大学院生を、新たに迎え入れて指導します。

     そんななか2015年頃以降の学生は、ホロコーストもさりながら「地下鉄サリン事件」を「知らない」という学生が年々増えているのを感じます。

    オウム真理教」という名前が、そろそろ微妙に通じない。

    「何かテレビでやってた・・・」みたいなリアクション。ことさらにそれ以上訊ねはしませんが、オウムであれ、ナチスであれ、「履修していない教科にあるかもしれない」程度の内容を知っている学生が年々減っている。

     ご存じの方はご存じのように、この事件に私は直接コミットメントがありましたので、毎学期必ず、すべての講義や演習、ゼミナールでもレッスンでも、一度は触れるのですが、リアクションは確実に後退しています。

     如実な傾向で、およそ洒落になっていません。

    オウム」に関連して「地下鉄サリン事件」あるいは「連合赤軍」「ルワンダジェノサイド」「バース党」「クメールルージュ」さらに「ナチスホロコースト」といった、かつては間違いなく著名で日本人の大半に通じた事例が、21世紀の18、19歳には急速に通用しなくなっています。

     もっとはっきり書くなら、「受験に出ない科目」の内容は、基本的に前提として学生生徒に話ができなくなってしまった。

     というか、そもそも社会常識というものが通用しにくくなっている。かつその度合いがだんだん極端になっている。

     原因・元凶が何なのかは分かりません。

     スマホ? ゲーム?? SNS??? あるいは受験のシステムそのもの????

     理由は分かりませんし、上記すべて関係している可能性があると思いますが、観測される事実として、確実にいまのティーン20代と、大きく言って「20世紀の遺物」である大人との間では「常識の喫水線」がズレ始めているのを、教室で痛感しています。

    「常識の変質」
    20世紀の前提が通用しない若者たち

    地下鉄サリン」「連赤」「クメールルージュ」「ホロコースト」などに限らず、ここ1年ほどの間で学生に全く通用しなかった用語を思いつくままに並べてみましょう。

    「赤穂浪士」(「忠臣蔵」)「八百屋お七」「ちょうちん行列」(日清・日露戦争の)「塹壕」「ゲートル」「すいとん」「木炭バス」「オンドル」「固有値・固有ベクトル」「減数分裂」などなどなどなどなど・・・。

     非常に多くの、私が「卑近な実例」として、ぱっと引く例が「ちんぷんかんぷん」になってしまう。年齢を痛感もします。

     私が1、2年生の授業で持っているのは文理共通の選択科目で、基本は音楽を教えますので、当然ながらいろんな学生がやって来ます。

     しかし、20世紀であれば1970年代でも80年代でも通用したと思われる「常識」が、ここ10年ほどで、急速に通じなくなっているのを、とりわけ東大生には感じます。

     とりわけ東大生、と書くのは、同じ年配の東京藝術大学生たちとも私は日常的にアンサンブルなどを通じて付き合うのですが、そちらではそんなに感じないんですね。

     母集団の取り方が極端に限られているとは思います。が、私が現在接している青年たちに即してその範囲でのファクトに基づいて記しておりますので、まげてご容赦をお願いします。

     私の研究室では、東大生と藝大生がごっちゃになって、中学高校生に音楽と科学を指導する日本学術振興会の「白熱音楽教室」なども行っていますが、藝大生たちは40年前の私が子供だった頃の常識が、かなりそのまま通じます。

     西欧古典音楽という、歴史にも学ばないと成立しない専門であるのは、一因と思われます。

     また、もっとはっきり記すなら、世間の常識といったことについては、藝大生の方が余程きちんと、しっかりしています。敬語なども正しく使えるし、アクシデントなどがあっても、みんな細かく気がつき、優しく、丁寧です。

     あえてコントラストをつけて記すなら、東大生は、答案など書かせると優秀ですが、社会常識に欠ける場合を普通に目にします。

     東大生は、まずもって敬語はたいがい崩れています。音楽では考えられないことですが、挨拶に始まり、基本的な礼儀作法がなっていないのは、東大生は「標準」と思います。

     レッスン室では私も一礼して始めますし、あらゆる生徒がきちんと目を見て挨拶して音楽の出来事は始まります。

     これは東大に限らないと思いますが、一般大学の一般教室では、教員が学生全般に挨拶しても、目も合わせなければ返事もせず、関係ない方向を見ていたり、雑談していたりする学生はごく普通でしょう。

     何も言わず、ふらーっと教室に入って、途中でさっといなくなったりするのも普通です。音楽では、そのような場であっても お邪魔はせずに目で一礼とか、基本的なマナーは徹底しています。

     また、アクシデントなどがあると「自分は関係ないからね」と、さっと消えてしまう学生が、わりと普通にいます。

     例えばゼミ合宿で、皆から集めたお金の計算が合わないことがありました。そういうとき、蜘蛛の子を散らすように、要領よく消えてしまったことがあり、ごく少人数の生真面目な連中が苦労しました。

     音楽の世界では、ちょっと考えられない「他人の顔」です。

     それ以降、そういう学生に限ってゼミに残すセレクションを心がけるようになりました。扱うのは音楽ですので、そういう「ワンノブゼム」的な人間が1人いるだけで、ぶち壊しになることもあります。当然慎重にならざるを得ません。

     人間的な信頼というのは、一番の基礎です。しかし受験科目としては出題されません。

     翻って私たち洋楽の世界では、信頼関係がなければ、楽隊として続けていけません。

     標準的な大学生は、限られた内容についてクレバ―ではあっても、皆のために頑張るとか、責任感をもってあえて損な籤でも引くみたいな若者は、以前から少なかったかもしれないけれど、目に見えて数が減っているのを感じます。

     しかし、極めて高打率で藝大では普通に出会います。

     アンサンブルですから、無責任なことなどできないし、そういうやつだと定評が立ってしまうと、遠ざけられてしまう傾向もあるので、誰しもきちんとしなくてはと思う、古くからあまり変わらない、普通の常識が成立する。

     私は東大でも、そういうクラスを大切にしています。大人数を囲い込むことには全く興味がなく、コンパクトで気脈の通じる接心が大事だと思っています・

     そんなところから改めて考えてみると、こうした「常識」の変化は、その青年が生まれ、育ち、現在も生活している「ローカル社会」の中での「常識」であることを、改めて感じるわけです。

    大学生は「行列」を知らない

     理工系の大学生大学院生などにとっては「アウシュヴィッツ」などは遠い話で、知らない者も増えているし、「そんなもの知らなくても、受験も、就職も、何も困らない」という、別の<ローカル常識>が成立してしまっている。

     逆に言うと「困る/困らない」「得する/損する」といった、かなり浅はかな了見で、身に着けた常識や教養がかなり偏ってしまっている。

     利害欲得づくで、ミニマムの知識を身に着けることで、良しとしてしまっている場合が少なくない。それが、より如実なのが「文科系学生の理科・数学離れ」です。

     先ほど、ここ1年以内に文理共通のクラスで話題として挙げて、学生に通じなかった言葉として「赤穂浪士」や「ゲートル」「塹壕」と並んで

    「固有値・固有ベクトル」 
    「減数分裂」

     の2つを挙げました。前者は数学で登場する「行列」という基本的な道具の最も基本的なパーツですし、後者はバイオテクノロジーで登場する極めてベーシックな概念ですが、全く分からないという学生が複数ありました。

     特に問題だったのは前半の「固有値」です。

     学生とのちぐはぐなやり取りを通じて、現在の高等学校では「行列」という概念を教えていないことを知り、愕然としました。

     文系はもちろん、理科系でも「行列」は教えない。「ベクトル」は教えるけれど「行列」を教えないというのは、自動車自転車を見せるだけで、その乗り方を教えないのに等しい破滅的な愚挙と言わざるを得ません。

     行列というのは、今日、コンピューターを扱ううえで、最も基本的なデータ配列の一つで、ITはもとより、AIに関わるどのような仕事をするのにも基礎的な大前提となるものです。

     これに異論のある人は、職業人にはまずもって存在しないと断言して構わないでしょう。

     それが、現在の教育制度では、文科系に進むと「行列」計算を学ばずに経済学部などにも進学してしまう、進学できてしまう・・・ことになっている。

     不勉強というか、普段の仕事に忙しく。高校数学がそんな惨状になっているとは、定かに認識していませんでした。

     さて、一般に大学生はちっとも勉強してくれません。例外的に努力家で優秀な学生はどこにでもいる。

     でも平均的な大学生は、高校生以下の真面目な勉学態度ではなく、バイトサークル、就活などがメインの生活となりやすい。

     早い話、手を動かして計算を身に着けるような勉強は、大学生一般には全くはかどらない。

     とすると、大学では経済学を専攻しました・・・と称して金融や証券、銀行や生保などに就職した学生が、行列算(ないし関連の基礎を「線形代数」と総称しますが)の基本を身に着けていない。

     今日の電子金融や、随所に機械学習などを駆使するネットワークシステムの実務に従事したとして、まともな戦力になることは、およそ期待することができない。

     いろいろ調べ、また教えていただいて、高等学校の教育指導要領の中で「行列」など線形代数の基礎を省略し、その代わりに「統計」の基礎を入れる改革を「AI対応」として実施したらしいことを知りました。

     学問の中身を知らない人たちが行った、ブラックボックス的な施策の典型というべきで、これではまともに世界で勝つことなどできない。

     シンガポールや香港ではあれだけ盛んなフィンテック(Fintech)が、日本ではさっぱり、泣かず飛ばずというのは、大半の、利を含めて野心も活力もある若者に、関連の基礎リテラシーが大きく欠如していることが原因であることは、すでに久しく指摘されていました。

     しかし、理系を含めて高校生が行列すら学ばないとは・・・。それに続く「1次変換」など、かつては文系も含め、大学受験数学の主要分野の一つでしたが、それがまるまる消えてしまったとは・・・。

     おそるべき教育の貧困化と言わねばならないと思います。つまりこういうことが起きているのでしょう。

     理工系は、受験さえ受かればよいと考えるなら、ナチスも原爆もオウムも無関係、無関心、そのローカルで小さい、箱庭のような無常識の中で、中途半端なシステム構築しかできなない。

     文科系も、やはり受験さえ受かればよいという了見であるなら、行列算も固有値も、行列式も逆行列も「入試に出ないんでしょ、なら興味ない」と雑学扱いで捨ててしまい、そのまま証券でも金融でも就職しようとし、実際に採用されてしまったりする。

     こんなことでは、グローバルに見て日本が負け組一直線であるのは、火を見るより明らかなことです。

     こうした「文系・理系」の分断、さらに深い根が存在していますので、紙幅を分けて検討してみたいと思います。

    (つづく)

    [もっと知りたい!続けてお読みください →]  13歳が頷けば、父は娘を犯していいのか?

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    父親と娘の性交は「合法」か?

    日本はいつから単一民族になったのか

    東京大学の赤門(撮影:川嶋諭)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     28日、兵庫県播磨西地区の40代男性の高校教諭が、3人の男子生徒に対しセクハラ行為をしていたとして懲戒免職処分を受けたことが判明。その行動にドン引きするネットユーザーが続出している。

     兵庫県教育委員会によると、この教諭は昨年6月から12月にかけ、顧問を務める部活動の際、体育館や車で試合の引率をした際、3人の男子生徒に対しズボンの上から股間を触った上、卑猥な発言をした。
     さらに、教諭は生徒に対し、「夜釣りに行こう。狙いは君や」とメッセージを送っていたことも判明。被害者の生徒が別の生徒に内容を話しているところを別の教諭が聞き、事態が発覚したのだという。

     40代の教諭は教育委員会の調査に対し、「冗談やスキンシップのつもりだった」などと話しているそう。男子生徒にとってみれば、実に取りたくないスキンシップだと思わるのだが。事態を重く見た兵庫県教育委員会は、この教諭を懲戒免職処分に。自身の欲求を満たす行動の代償はかなり大きなものになってしまった。

     教師にあるまじき行動に、「理由が苦しすぎる。ただ自分の欲求を満たしていただけだろ」「変態教師。懲戒免職処分は当然だと思う」など厳しい声が上がる。

     一方で、「こういう教師は自分らの頃にもいて、校長になっていた。時代が変わったという感じがする」「自分も柔道の授業で教師に抑え込まれ、股間を触られたことがある」という声も。
     そして、「兵庫県教育委員会の責任はどうなるのか。採用責任も問うべきだ」「兵庫の教師は問題行動が多い気がする。教育委員会もたるんでいるのでは」「教師の免許をなぜ剥奪しないのか。また別の地域で採用される可能性もあるのでは」と、教育委員会側の責任を問う声も多く上がった。

     男女問わず、教諭が生徒に対してその立場を利用するようなセクハラを行うことは、人の上に立つものとして不適切。厳しいとの声もあるが、懲戒免職処分は致し方ないだろう。

    画像はイメージです


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    新年も始まり、冬休みが終わる学校も出てきたのではないでしょうか。また勉強の日々が始まるのも憂鬱なことかと思います。そんな日本の教育現場に関して、私たちは当たり前だと思っていた風景が、外国人が目の当たりにすると疑問が出てくるようです。そんな教育現場に物申す意見がまさにその通りだと話題になっています。

    授業を行う意味

    教育先進国であるデンマークの方が学校へ訪問した時に放った言葉が話題になっています。当たり前のように席につき勉強をしていますが、この授業を行う意味、その科目を教える意味は理解しているのでしょうか。みんながやるからやったつもりになり、勉強したつもりになる形式だけを揃えた形式主義になってしまっていないかと言う疑問が上がっています。言われてみると一方通行でしか授業を受けていなかった覚えはないでしょうか。

    ネットの反応


    生徒を主体とした先生と生徒の双方向のコミュニケーションを取り入れた授業を海外では行われているようです。もちろん生徒自身のやる気も必要でしょうが、これを機に日本の教育現場に疑問に持つ声が上がっていき、さらなる質の向上に繋がっていくと良いですね。

    学校といえば、自学、教習所、自練...自動車学校の略称に地域性があると話題になりました。

    画像掲載元:写真AC



    画像が見られない場合はこちら
    日本の教育現場に物申す外人がまさにその通りだと話題に


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     ネット上などで、小学校算数、掛け算の「指導」が混乱しており、大問題になっているのは、ご存じの方も少なくないと思います。

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     以下のようなケースで、あちこちに「炎上」を目にすることができるでしょう。いま仮に

    「一袋に3個ミカンの入った袋を4つ買いました。みかんは合計何個ありますか?」といった出題があったとして

    3×4=12  答え 12個

     が〇である、というのです。それはまあいいかもしれない。問題は、

    4×3=12  答え 12個

     だと×になる、というんですね。教師はバツをつける、親に聞いても釈然とした答えが得られない・・・という、まことに困った話です。

     さて、私自身を含め、普通に数理科学を学んだ人間、大学教員などからは「乗算(掛け算「×」のこと)には「交換法則」が成り立ち、a×bもb×a も結果は同じ」と普通は反応することになります。

     もっと具体的に書くなら「低学年で<九九>を教えているはずなので、a×bとb×aが同じ答えになるのを子供たちは知っている。なぜ誤った指導を強制するのか、とんでもない!」という批判を加えるのが標準的です。

     実際、私自身も旧来、そのようにコメントしてきました。ところが、ネット上で「現役小学校教員」の方の意見として

    「a×bとb×aは違うと指導しないと、a÷bとb÷aを混乱する子供が出来上がり、後々伸びなくなる。だからa×bだと問題で言われたら、a×bを墨守遵守し、b×aと書いた子供には×をつけてやるのが<正しい>教育法だ」という意味の書き込みを目にしたのです。

     何たることか、と天を仰ぐ思いを持ちました。

     ということで、これについて考えてみたいと思います。冬休みですので、ぜひ親子の会話として食卓やこたつで話題にしていただければと思っています。

     結論を先にいうと、これは「教育」ではなく、一種の「動物の調教」の水準に近く、教員として「算術」を「訓練」することはできても、知性をもった対象に教える「数理」としては成立していません。

     こんな教育を真に受けてしまうと、子供がアホになってしまうことを率直に心配せざるを得ません。

    4÷3 は 3÷4 か?

     この先生の主張は、つまり以下のようなことだと思います。

     子供に「1袋に3個ミカンの入った袋を4つ買いました。みかんは合計何個ありますか?」という問題を出したら、モノも考えず、出題された言葉の順の通り

    3×4=12

     と書いて、それ以上思考しないロボットか犬のような教え方が安全である。というのは、そののち割り算を習って

    「1つ3キログラムかぼちゃを4人で等分しました。1人の分け前は何キロですか?」という問題が出たら

    3÷4=0.75 (あるいは3/4) 答え 0.75(3/4)キログラム

     と「正解」できる子供(あるいはプログラム、犬、猿など)を安全に育成できるとういう主張にほぼ等しいことになるでしょう。

     これは、率直に言って、ダメです。というのも、同じ問題を

    「4人で1つ3キログラムかぼちゃをを等分しました。1人の分け前は何キロ?」という日本語で出題したとき、問題に出てくる数字の順番で計算しなさい、というプログラム、あるいは犬や猿の芸を仕込まれていれば

    4÷3=1.333・・・(あるいは4/3、1と1/3など) 答え 1と1/3キロ

     などと平気で誤答する子供を作りかねないからです。

     要するに、問題の意味をきちんと汲んで、それに合致した正解を「記述式」で答えているなら、採点する教師の方も最低限「人間」のレベルで、まともに答案を検討して〇×をつけるのが当たり前であるからにほかなりません。

     それを端折る、救いようのないマスプロ教育、あるいは、個別の現象に対して正しい数理を教師側が指導できない、教えるサイドの力量不足、ないし教習能力の欠如が、本質的な原因であると指摘せざるを得ません。

    「比の値」と割り算符号

     この現象を見たとき、私自身の小学校時代の記憶が蘇ってきました。「比の値」という、あまり本質を感じさせない量に関して、×をつけられ、大変不愉快だったことを思い出したのです。

     いま a:b という「比」があったとき a/b を この比の「値」だというのです。a:b が式として明記されず

    「学校で身体検査がありました。身長を図ってみると太郎さんの身長は120センチメートル、妹の花子さんは100センチメートルでした」

    1 2人の身長を比例式で表しなさい。
    2 比の値はいくつになりますか?

     みたいな出題があったわけです。小学生の私が思ったのは

    <2人の身長の比を表すっていうんだから 120100=6:5でも 100120=5:6でも どちらでもいいことになるじゃないか。わけが分からない>

     という不満で、実際 5:6 と書いて 比の値 5/6 などとして×を食らったのを、極めて不愉快に感じたというような記憶です(上の問題その他はいま説明のために構成したものです)。

     小学生の私を指導していた先生たちは、およそまともな数理を教えてはくれませんでした。他方、早くに死んだ父親や、教師の母を含む身の回りの大人たちは、より合理的なものの考え方を日常生活の判断として教えていました。

     ここから、学校の指導要領というものを本質的に信用しない子供の「出来上がり」となり、これは中学以降の私の学習生活に、極めて大きなプラスの影響を遺しましたので、反面教師としては意味があったかもしれません。

     a:bという比例式があったとき、この「比の値」を a/b とする、というのは、実は演算記号の歴史を紐解くと、きれいに理解できるようになります。

     しかし、私がそういったことを初めて知ったのは、東京大学ハーバード大学暗号通貨ブロックチェーンに関する共同研究の一環として、簿記会計の歴史、もっというと複式簿記の発生と、これに並行する方程式の発明と、四則演算記号の開発史を知った、50代以降のこと、つまりごく近年にほかなりません。

     皆さん、改めて「÷」という符号をよく見ていただけますでしょうか?

     実は、この「÷」記号は、比を表す「:」と、分数を表す「/」とを合わせたものとして、合成されたものなのですね。

     最初は a:b として割り算を表記していた。だから a:b = a/b といった表現が取られていた。

     ところが比例関係そのものを表す必要が生じてくると、これでは混乱してしまうのです。つまり

    120100 = 12:10 = 6:5・・・

     というように「比例関係」そのものを示したいと考える(税率や利息計算など、初期の複式帳簿からこの種の演算は必ず求められましたので)と 「aたいb」と「aわるb」を区別できる記号があった方がよい、ということになった。

     そこで17世紀に入ってから工夫されたのが、比の「:」符号に「これは割り算の方ですよ」と注意書きする

    「÷」

     という記号だったのですね。で、特に税率などを表すうえで便利な「百分率」の比については

    「%」

     という、双子の兄弟のような記号が発明された。

    「17世紀」は日本で考えると徳川幕府初期にあたり、英国ではニュートンが生まれ育った時代にほかなりません。

     これに先立つシェークスピアの時代には、いまだ加減乗除の記号は発明されておらず、シェークスピアの戯曲「ヴェニスの商人」で、高利貸し「シャイロック」は公証人を呼びますが、きちんとした貸借原簿はつけていません。

     簿記会計の技術が、未発達だったからにほかなりません。

    「比の値」一つをとっても、例えばこんなふうな前史から教えて、分母子の混乱を避けることはいくらでも可能と思います。

     しかし「義務教育」というシバリがあると、また、限られた時間で「マル」がつく答案を書く子供を形だけ量産したいと短絡したりすると、

     3×4は「マル」でも4×3は「バツ」という、拙劣極まりない「教育法」がまかり通ったりする。末期的と思います。

     さらに、私が、子供たちが先に伸びていくことを念頭にこの種のことを教えるとしたら、全く違う方法をとると思います。それは 

    4÷3 と 3÷4

     は「本質的に同じ」という教え方です。仮にこのようにツイッターなどに書くと、鬼の首を取ったように

    「算数の初歩も理解していない」などと言ってくる人が、結構な割合で登場するように思います。

     私は自分のSNSアカウントに、大学での職位などを記していませんので、善くも悪しくもいろいろな人のいろいろな意見を直接もらうことができ、こういうコラムを書くにはなかなか便利なのですが、

    「5÷4 と 4÷5 は 本質的に同じ」などと書くと、「この人は1.25と0.8の区別もつかないレベル」などと一人で「祭り」を始めてしまいます。

    「あの、その背景にはフーリエ解析という考え方があって、量子力学では・・・」とかまともなことを書き添えても「フーテンだか漁師だか知らないけど、バカが何か書いてる」式の反応しか来なかったりするんですね。

     実際に経験して、言葉が通じないことの不幸を痛感しました。

     そうした展開、つまり「5÷4 と 4÷5 は いかにして本質的には<同じ>なのかといった話題については、続稿に記したいと思います。

    (つづく)

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    漫画家の栗田あぐり@kurita_aguri)さんが、創作漫画『やたらとイケメン男子高校生の話』をTwitterで公開。

    一見地味な男子高校生・柄本くんのイケメンな言葉に、多くの人がキュンとしています。

    『やたらとイケメンな男子高校生の話』シリーズ

    今回は、4つのエピソードをご紹介します。

    園芸部員と柄本くん

    フラワーショップと柄本くん

    フラワーショップで働いていたのは、こちらの『パワー自慢な男性たちと柄本くん』に出てきた、柄本くんの姉の友人・由美さん。

    ジムでトレーニングをしていた女性 ナンパに絡まれたけど、高校生が?

    会った人の名前をきちんと憶え、相手を喜ばすのが柄本くんです!

    セーターと柄本くん


    男子生徒たちと柄本くん

    柄本くんのモテるポイントは「気が利くところ」だと身をもって知った男子生徒たち。

    柄本くんの魅力は、男子生徒たちの心までつかんでしまいました。

    漫画には、「箸だけに端まで気が行き届いてる」「そりゃモテるわ」「女子たちとどんな会話をしてきたのかが気になります!」などの感想が寄せられています。

    柄本くんの魅力はいったいどこまで届くのか、見届けたい気持ちになりますね!

    栗田あぐりさんのほかの作品

    栗田さんは、愛を知らない悪魔と少年の純愛漫画『厄災が俺を愛してる』と、バドミントン漫画の『ダン×バド』を連載中。

    わくわくする展開を楽しみたい人は、こちらもチェックしてみてください!


    [文・構成/grape編集部]

    出典
    @kurita_aguri


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    2019年(1月~11月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ネット事件部門の第5位は、こちら!(初公開日 2019年5月10日)。

    *  *  *

    不登校は不幸じゃない!」「学校に行きたくなければ行かなくていい」と発言した「10歳の不登校YouTuber」が先日、大きく話題になっていました。ネット上では彼や両親に対して賛否両論の声が次々と上がり、一大ムーブメントとなっていたわけですが、この問題についてはもう少し慎重に考える必要がありそうです。

    「自分の好きなように生きていけばいい」には賛同する一方で

     大前提として先に申し上げておきたいのですが、私は「義務教育推奨派」ではあるものの、何らかの事情で「学校に行きたくない」と言う子どもを無理やり学校に行かせる必要はない、と考えています。もしも家庭で義務教育の代わりとなる教育をしてあげられるのであればそれでもいいと思いますし、学校が子どもにとって「過酷な環境」で心を壊してしまうくらいなら、逃げ道を用意してあげることも立派な親の務めでしょう。

     もちろん学校で友達と交流したり、大人になってからは経験できないであろう様々な行事に参加することも人生においては大事な経験だと思います。しかし、本人が辛い、参加したくないのに親が「学校教育」にこだわった結果、子どもの精神が追い込まれるリスクがあるくらいならば、安心できる場所でのびのびと教育を受けられた方がその子にとってもできることが増えたり、これ以上の心の傷を防いだりすることに繋がると思うのです。

     今回の「10歳の不登校YouTuber」問題について言いたいことは、決して彼や両親に対しての批判や、攻撃ではありません。本人が「好きでやっている」と言っている以上は、彼の意思は尊重すべきですし、第三者がそれを否定したり、人格攻撃をすることはあってはならないことです。

     また「親の操り人形にされている」という指摘もありますが、それに関しては現状で真偽が定かではなく、10歳の子どもである本人の心の傷になる可能性もあるので、ここでは言及しません。「自分の好きなように生きていけばいい」という意見には、私も同意します。

    では何が問題だったのか

     それを踏まえて意見を申し上げますと、この騒動で浮き彫りになった問題は、第三者であるはずの大人たちが「これからの時代は、義務教育を受けなくていい」「義務教育を受けるべきだ、という考えは思考停止だ」と無責任に煽る行為ではないでしょうか。

     特に「インフルエンサー」と呼ばれるインターネット上で影響力のある大人たちが、ポジショントークのために10歳のYouTuber子どもを「いいぞいいぞ!」と担ぎ上げ、さらには子どもの将来を案じる声に対して「子どもの足を引っ張るな!」「頑張る人を邪魔するな!」と批判する様子を見ていると、たいへん僭越ながら「うわぁ、ひどいなぁ」と感じてしまいました。

     私個人としては、彼らの言う「今は義務教育を受けなくてもいい時代」だという根拠はどこから来るものなのか、疑問を持たずにはいられません。

    義務教育を受けずに、差し支えなくどんな仕事にも就くことができる社会」がすでに完成しているならまだしも、今はまだ世の中のほとんどの採用が学歴重視のシステムから抜け出せていないのが実情です。もしも10年後、20年後にそういった社会が実現する可能性があったとしても、それは結果論でしかなく、そのときになってみないと分からないことです。

    責任な言動も「未来の自由」を奪っている

     社会の型にはまらず「好きなことをして生きていく」を実現できる人が存在することは事実ですが、彼らが少数派であることもまた明らかです。そうした少数派の成功者の自己啓発本が世間を賑わせることはあっても、例えば「義務教育を受けなかった結果、好きなことで成功できず職業の選択肢も減ってしまった」人たちの声が情報として表に出てくることは、ほとんどありません。

     にもかかわらず「これからは義務教育を受けなくてもいい」「インターネットSNSが当たり前になった今の日本では学校に行く理由がない」などと安易に発言し、さらに10歳の不登校YouTuberを心配する大人たちを「足を引っ張るな」と一蹴することは、果たして責任ある、誠実な行為だと言えるでしょうか。私には、彼らの無責任な言動もまた、子どもたちの「未来の自由」を奪っているように思えます。

    1000人に1人の逸材」がロールモデルになると……

     影響力のある人たちがそうした発言をすることで、子どもや保護者たちが「この人がそう言うなら、義務教育は受けなくてもいいだろう」と安易に受け入れてしまうことがどれほど怖いことであるか、私たちは慎重に考える必要があります。

     義務教育を受けずに大人になった1000人が、1000人とも「好きなことをして生きていく」ことができる、などと誰が言えるでしょう。仮に1000人に1人成功した人がいたとして、その人をロールモデルにしてしまうことは危険な行為です。「残りの999人はどうなったのか」を考えて、理解し、それでも挑戦するのであれば他人が口を挟む問題ではないと思うのですが。

     特に子どもは、生まれてくる家庭を選べません。もし私が子どもの頃に不登校だったとしても、典型的な機能不全家族であった私の家庭では、生きていくうえで十分な教育を受けることはおそらくできなかったでしょう。両親は勉強が苦手でしたし、共働きで朝から晩まで働いてくれ、おまけに兄の家庭内暴力のせいで心身が疲弊していつも追い込まれていたため、「子どもの教育」はきっと後回しにされていたと思います。

     そのような家庭にとっては、義務教育はとてもありがたいものでもあります。貧しくても複雑な家庭の事情があっても、平等に教育機会を与えてくれる制度には、私自身はたいへん恩恵を受けたと思っています。個人によって「吉と出るか凶と出るか分からないこと」を個々の事情を鑑みず、ひとくくりにして語ってしまうことは大変危険な論法です。

    他人を利用してポジショントークをする大人たち

     これから先、義務教育を受けずして成功した人が「義務教育なんか受ける意味ないよ。俺は成功したもん。だからみんな行くのやめようぜ」と煽ったとしても、それは100%の善意からくる発言ではないことを覚えていてほしいのです。「自分と同じように行動すれば、『全員が必ず』自分と同じように成功できる」ということは絶対にありえないし、その発言を信じたあなたが失敗したとき、彼らはあなたの失敗をフォローしてくれることもないでしょう。

     あなたの将来を本当に考えてくれる人は、あなた個人としっかり向き合って、これから起こりうるさまざまなリスクを必ず説明してくれた上で、「それでも挑戦したい」と言うあなたの背中を押してくれるはずです。

     昨今のインターネットではよく目にする光景ではありますが、他人を利用して自分のポジションを取ろうとすることは、決して肯定されるべき行為ではありません。今回の「10歳の不登校YouTuber」の話題で浮き彫りになった問題を、単なる「炎上」で終わらせてはならないと思うのです。

    (吉川 ばんび)

    ©iStock.com


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    現代の小学生・親御さんの間で話題を呼んでいる「さくらんぼ計算」について特集してみたいと思います。

    最近の小学生が学んでいる「さくらんぼ計算」ってご存知ですか?

    皆さんは「さくらんぼ計算」なるものをご存知でしょうか?現在、算数で足し算や引き算を習い始めた小学1年生が主に学習している計算方法で、数字が「さくらんぼ」のように見えることから、この名称が使用されています。

    こちらが計算例です!

    こちらが実際の計算例となります。例えば左上の「9+3」の場合、まず「3」を「1」と「2」に分解します。そして、「9+1」をまず行い「10」を作り、その後に「2」を加えることで、正答である「12」を導くというわけです。「10」のような、一の位が「0」の数字をまず作ってしまうことにより、計算間違いを減らせる方法として現在注目されています。

    一方で「紛らわしい」という意見も!

    「5+7=12」のように、一桁同士の計算で二桁への繰り上がりが発生する場合、桁の概念を理解できない子供が落ちこぼれないようにと考案されたのが「さくらんぼ計算」なのですが、これに頼りきってしまうことで数字への理解を遅くしてしまう、という指摘もあります。また、既に桁の概念を理解している子供にとっては「逆に紛らわらしいのでは?」という指摘もあり、その賛否は分かれているというのが現状です。

    小学校の頃に勉強させられた「〇〇算」!!

    我々ミドルエッジ世代には耳慣れない「さくらんぼ計算」。一方、我々が小学生の頃に勉強した算数には「〇〇算」と名の付いたものがたくさんありましたよね。ここでは、我々が算数で習った〇〇算のうち、代表的なものをご紹介したいと思います。

    つるかめ算

    まずご紹介するのは「つるかめ算」。日本では江戸時代に「ツル」と「カメ」を用いて行われるようになった計算方法で、ツルの足が2本、カメの足が4本であることを利用します。具体的には、「ツルとカメが合わせて5匹、足の数が合わせて12本であるとき、ツルとカメはそれぞれ何匹・何羽いるか」という問題で、まず最初に5匹全てをツルと仮定します。すると足は2×5=10本と2本少ないことから、カメの数を増やしていき、ちょうど12本になる場合を探します。すると、ツルが4羽、カメが1匹のときに足が12本となることがわかります

    虫食い算

    次にご紹介するのは「虫食い算」。計算式の中に、虫に食われたような穴(下の写真の□)が空いている状態から、穴で伏せられた数字を解いていく問題のことです。パズル的な問題ですが、中学受験などでも散見されます。

    旅人算

    速さを題材とする文章題で登場する「旅人算」。2つの人や物が動く際に、お互いの動きの推移を計算する問題のことでです。具体的には「A君が分速100mで歩き始めた10分後に、B君が分速200mで同じ方向に歩き始めた。B君が追い付くのはB君が歩き始めてから何分後か?」といった問題で、初級の公務員試験などでも見かけます。

    方陣算

    「方陣算」といったものもあります。これは、碁石などを三角形、四角形といった形に敷き詰めていったとき、碁石の総数や周囲の碁石の数を求めさせる問題のことです。具体的には、「16個の碁石を正方形に敷き詰めた。そのとき、周囲の碁石はいくつになるか?(答:12個)」といった問題です。
    他にも「ニュートン算」「植木算」「通過算」といったものもあった「〇〇算」。かつて我々ミドルエッジ世代を苦しめた算数や数学ですが、現代の子供たちにとっても天敵であることに違いはありません。ご紹介した「さくらんぼ計算」に頼るだけでなく、子供たちの算数嫌いを克服するため親世代となった我々も一肌脱ぐ必要がありそうです!

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    岐阜市の市立中学校3年の男子生徒が自殺したとみられる問題で、同級生の男子生徒3人を強要などの疑いで、書類送検する方針を固めたと岐阜新聞(12月20日岐阜新聞Web)が報じた。

    岐阜新聞によれば、3人は男子生徒が自殺する前日、学校内のトイレで無理やり土下座させるなどしたという。さらに3人のうちの1人は、亡くなった男子生徒に対する暴行や恐喝の疑いも持たれている。

    言葉にならないほどの痛ましいいじめだが、学校問題に取り組んできた弁護士は、刑事事件化することをどう評価するだろうか。またいじめ被害にあった場合、親はどのように対応すればよいのか。高島惇弁護士に聞いた。

    「今後、刑事事件化するケースは増えてくる」

    「刑事事件化することについては、今の世論を考慮すると妥当な結論だと思いますし、今後より刑事事件化するケースは増えてくると思います。

    今の教育現場においては、いじめ防止対策推進法の施行もあっていじめの認知件数が激増しており、いじめ防止に向けた取り組みも積極的になされています」

    認知件数が激増している中で、学校側の対応は十分になされているのか。

    「教師として行える活動に限度があるのが実情です。昔のようないわゆる鉄拳制裁は、文部科学省や各教育委員会から厳しく処分されることもあって、非行に走る生徒を完全に抑えるのは現実的には難しいです。

    このような状況下において、被害を受けている児童生徒が自殺するような深刻ないじめ案件においては、もはや学校内部で処理することは到底不可能です。第三者委員会や弁護士、捜査機関といった外部の介入が必要不可欠です」

    深刻な事案においては、刑事事件化することも適切な対応といえるのか。

    「刑事事件を通じて加害者生徒の更生を図ることも可能である以上、積極的に学校外部へ公表して解決を模索しようとする姿勢が、今の社会には受け入れられるのだと考えています」

    いじめ被害にあったら? LINEも有効

    被害者側はいじめを受けたら、どのような対応が望ましいのか。

    いじめを受けた度に証拠確保するのが極めて重要となります。例えば、暴行を受けた場合には、外傷を写真撮影したり医師の診断を受けるべきです。暴言などの被害についても、毎日、日記に取ることで一定の信用力が生じることになります。

    特に、LINEで記録する形で送信すれば、事後的な改ざんを疑われる可能性もなくなり、より有効であると考えています。また、捜査機関へ早期に相談することで、警察から学校や加害者児童に対し働きかけてくれるケースもあります。

    その上で、より重要なのは刑事事件化を目指すことではなく、自殺などの取り返しがつかない被害が生じる前に、いじめの改善措置を講じることです」

    具体的には、どのように動けばよいのか。

    いじめの行為態様が深刻化する前に担任や保護者へ相談すべきですし、仮に対応してもらえない場合は、弁護士会などで行っている電話相談に相談されることをお勧めします。

    いじめは、決してなくなることはありませんし、刑事事件化することで加害児童の人生設計も大きく変わってしまいます。

    だからこそ、安易ないじめを行わないよう教育の場で定期的に伝えていくべきです。また刑事事件化したニュースが報道されることで、他のケースにおいて一定の抑止力が機能することを期待しています」

    【取材協力弁護士
    高島 惇(たかしま・あつし弁護士
    退学処分、学校事故、いじめ、体罰など、学校内におけるトラブルを精力的に取り扱っており、「週刊ダイヤモンド」にて特集された「プロ推奨の辣腕弁護士たち」欄にて学校紛争問題が得意な弁護士として紹介されている。

    事務所名:法律事務所アルシエン
    事務所URLhttp://www.alcien.jp

    学校いじめ「犯罪化」は抑止力になる?  岐阜中3自殺で「同級生3人」書類送検へ


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