「虚無は実在する」──87歳になった石原慎太郎氏の言葉は、「死」についての、そんな謎めいた表現から始まった。世界中が「命」と真剣に向き合う中で聞いた、「人間の一生」とは。

■死線を越えた人間のみが味わえる実感

今から7年前、私は脳梗塞で入院しました。幸いにも早期発見だったため、利き手の左手だけは麻痺したものの、言葉は明瞭に話せたし、すぐに歩くこともできました。

しかし梗塞を起こした場所が記憶を司る海馬の近くであったため、一時は文字というものをすべて忘れてしまいました。また文字の記憶が蘇ったのちも、左手に麻痺が残ったので、字をうまく書けないという時期が続いたのです。もっとも、右手のほうは使えたので、入院中はワードプロセッサーを使って短編小説を書き上げるという新しい経験をすることはできたのだけれど。

この病は私に、人生で初めてといっていいほどの巨大な喪失感をもたらしました。大病をすると、己の死期が近づいていることを嫌でも自覚しないわけにはいきません。するとそのことによって、ものの見方や考え方にも変化が生じるものです。日常茶飯に思っていたものが非常に新鮮に見えるようになり、たとえば廊下を這っている小さな虫をスリッパで踏みつぶそうとも思わなくなりました。かろうじて生きている者同士としての共感があるからでしょう。

今は毎日、床に就く前に「今日も無事に一日が過ぎた」と振り返り、就寝中に急死した友のことを脳裏に描きながら「今晩あたり、寝ている間に死ぬかな」と目を閉じます。こういう実感は、死線を越えた人間でなければ味わえません。1度倒れて死に損なう経験をすればわかります(笑)。健常な年若い人には想像もできないでしょう。

■私なりの悟りの言葉「虚無は実在する」

フランスのソルボンヌ大学の哲学教授だったウラジミール・ジャンレヴィッチが『』という有名な本を書いていて、死を多角的に分析しています。実に面白い内容なのですが、その中に「老衰とは死の育成」という一節がある。まさにそうだと思います。死というのは人間にとって最後の未知で最後の未来だから、私にとっても非常に興味を惹かれる対象なのです。

では、死ぬとどういうことになるのか。

意識が消滅するのですから、死ねば虚無です。人間が喜んだり愛したり恐れたり怒ったりするのは全部、意識の産物です。意識がなくなってしまったら、自分がどこにいるのかさえもわからない。死んだら何もないのです。

だから私は、こういう言葉をつくりました。

「虚無は実在する」

アフォリズムとしてよくできているのではないかと思います。虚無は虚無として実在する。仏教から来ているといえばそうかもしれないが、それよりもこれは私自身が自分の行動や思索を通して到達した言葉です。私なりの悟り、覚悟と言ってもいい。

年を取れば誰しもわかるようなものですが、人生には限りがある。死ねば虚無しかなく、虚無は実在する。そう考えると、生きている時間が一層愛おしくなるものです。

私はよく「おまえはもう十分にいろんなことをやってきたじゃないか」と言われますが、そういう私でもこの世への未練は尽きはしません。

もっともっと面白いヨットレースやってみたかったし、スキューバダイビングにしても、世界中の海をめぐってガラパゴス沖のように日本近海とはかけ離れた素晴らしい海にも潜ってきたけれど、それでもまだ行ってみたい場所はあるのです。

しかし、死んだら終わりです。意識が消滅したら、何ものも知覚できるわけはないのです。だからこそ、生きている時間の大切さがわかろうというものです。

そのことが鮮明にわかる瞬間があります。残酷なことですが、とりわけ老いた人間にとって、親しい間柄の人の訃報は活力にもなりえます。私もこの年ですから、長年のヨット仲間や友人たちを数多く見送ってきました。そのたびに感じるのが、彼らは死んでしまったが自分はまだ此岸にいる、という感覚です。老いて意気阻喪していた自分にはそれが意外な活力にもなるのです。

とはいえ、老齢ゆえの孤独と不安は、必ずしも悪いものとは限りません。私はそうした感情に耐えることこそ、老いての生き甲斐ではないかとさえ思っています。

誰しも若い頃の自分と今の自分を比べるのは辛いことです。脳梗塞を患ってからは、日課としている散歩ひとつにしても、思ったほど遠くまでは行けません。「昔はもっと歩けたのにな」なんて言いながら引き返してくるのはいかにも残念で、いい気持ちがするものではありません。けれど、それは仕方がない。肉体の限界というものがあるからです。それを我慢するのも、ひとつの生き甲斐と言えるでしょう。

■仏教以外に本来の哲学を説いた宗教はない

ただ私には幸運にも、ものを書くという生き甲斐もあります。ときどき若い頃に書いた小説を読み返すのですが、今読むと幼いと思える部分がある。だから「今の俺ならこう書くだろう」などと、あれこれ考えをめぐらすのは面白いものです。

先日、ライフワークのひとつを完成させました。私自身が心のよりどころとする法華経の現代語訳と新しい解釈を記した本です。偉い坊さんたちが読んだら解釈が違っていると怒るかもしれませんが、私自身の経験から私なりに納得のいく解釈を導いたものです。これを持ってこれから全国を説法して歩こうかと思っています(笑)

といっても、私はある特定の宗教・宗派の熱心な信者というわけではありません。釈迦が人生の中で実践し考え抜いた末の認識を弟子たちが書物にまとめたのがお経、仏典です。その中でも法華経には実に多くの学ぶべき知恵が詰まっていると感じ、私自身の行動や思考の指針としています。だから私は宗教というよりも、実践的な哲学として釈迦の言葉に接しているのかもしれません。

哲学とは存在と時間を考える学問です。そうした本来の意味の哲学を説いた宗教があるかというと、仏教以外にはないだろうと思います。

たとえばキリスト教は、つまりはイエス・キリストの一代記です。人間の愛について、虐げられたユダヤの民への共感をベースに説いている教えですが、そこに哲学はありません。あとからギリシャ哲学を援用してきて、神学というものが出来上がったにすぎません。

これに対して仏教は、たとえば時間の推移が存在の形を変えていくという認識を世界で初めて説きました。それを端的に表した言葉が「色即是空 空即是色」です。

釈迦自身は来世などというものを説いてはいません。浄土宗など後世の仏教が極楽浄土を強調したから多くの人が勘違いしていますが、初期の仏教には極楽や地獄という概念はないのです。釈迦は今をどうやって生きるかということをこそ説いています。来世も極楽もありません。私に言わせれば、そんなものを信じていたら甘ったれるだけです。

■老いてからの生き甲斐は自分で見つけるしかない

さて、私にはものを書くという生き甲斐があると言いました。「作家ではない自分にはどんな生き甲斐があるんだろう」と悩む人もいるでしょう。結局は自分で見つけるしかないのですが、その気になって探してみれば、身の回りにもたくさんあるはずです。極端な話、野良犬を拾ってきて育てるのも生き甲斐になるかもしれません。

いろいろなところに共感の種はあるのです。それを自分の手でつかみ取ることです。そうした行動をせず、くよくよしながら死んでしまったらどうにもなりません。

私のことを言えば、どんなに気が滅入ったときでも、自ら死を選ぼうなどということをわずかでも考えたことはありません。死んではつまらないし、もったいない。この先に残っている人生で、まだいろいろなことができそうな気がしますから。

三島由紀夫さんはああいう形で自ら命を絶ってしまいました。自衛隊市ヶ谷駐屯地(当時)への立てこもり、決起の呼びかけ、切腹、介錯。それ以前に「楯の会」での行動や著作を通じ、自死までの道をごてごてと飾り付けていきました。けれども私は、それをちっともうらやましいとも美しいとも思いません。

江藤淳は私の文学に「死の影が差している」と評しましたが、私は行動派であり肉体を酷使するだけに、死に近づくのは道理です。しかしそのときに死を強く意識するということはありません。あくまでも、そのときそのときの自分の人生を謳歌するという考え方があるだけです。

今、残念だと思うのは、日本人の多くが幼稚になったということです。人間の価値であるはずの感性が鈍麻し、あれかこれかと議論するのはちまちました小さなことばかりになりました。会ってみて感じるのはのっぺりとした平凡な人間性で、こちらがショックを受けるような鮮烈な個性を持った人間がいなくなりました。特に若い世代に少ない。

今の日本の政治家はほとんどが幼稚です。歴史を知らないからです。本質的な歴史観を踏まえて、今の自分を考える、今の国を考える、そういう本当の教養を持った政治家がどこにいますか。みんな姑息で、その場その場で一時しのぎ自己満足や自己暗示に終始しています。

突如として世界を襲った新型コロナウイルス問題への対処が象徴的です。これこれの時期になったら経済活動を再開できるだろうとか、旧に復することばかりを考えている。でもこの新型ウイルスの流行はしばらく続きます。1年先延ばしした東京オリンピックですが、私は開催できないと見ています。

■世界は本質的な変革を求められている

コロナ禍に見舞われた世界は、本質的な変革を求められています。40年ほど前に宇宙物理学ホーキング博士が来日した際、私は「あなたはある程度まで発展した文明は一瞬のうちに滅びると言ったが、宇宙的な尺度で一瞬とはどのくらいか」と質問しました。そのとき彼は「100年くらいでしょう」と答えた。つまり人類文明が環境問題などの課題を放置していたら、あと100年しかもたないだろうと言ったのです。

ホーキング博士の予言からもう40年経ってしまいました。今この機会に変えなければ人類文明の存続はない、と腹の底から理解している政治家はどれだけいるでしょうか。

2019年2月、ショッキングニュースが流れました。東京オリンピックでの活躍も期待されていた競泳の池江璃花子選手が、急性の白血病に侵されたというのです。あれだけ華やいだ存在の人が自分の人生を封じられてしまうとは、なんという残酷なことでしょう。人生にはときとしてそんな恐ろしい罠が待ち構えているのです。

その彼女がリハビリを経て、ようやくまた泳ぎ始めたといいます。テレビの映像で見ましたが、実に感動的でした。彼女は自らの置かれた状況に耐え、まったく慨嘆することがないのです。本当に強い人だと感心するしかなかった。池江さんのこれからを考えると、やがて恋愛し結婚し子供を産んで、充実した次の人生を送ることになるでしょう。そのことで彼女の人生は見事な蘇生を見せてくれると信じます。彼女はそれができる人です。

私はまたこうも思うのです。池江さんの身に起きたことを考えれば、90歳近くにもなって「ろくに散歩もできなくなった」とこぼすのは違うのではないかと。私は恐ろしい人生の罠に落ちることもなく、老齢に至るまでともかくも充実した人生を歩んできたのです。それなら嘆くことなんて、何もないはずではないですか。

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石原 慎太郎(いしはら・しんたろう
1932年、兵庫県神戸市生まれ。神奈川県立湘南高校、一橋大学卒業。大学在学中に執筆した『太陽の季節』で芥川賞受賞。68年、自民党から出馬し参議院議員に。元東京都知事。『法華経生きる』『老いてこそ人生』、ミリオンセラーとなった『弟』など、著書多数。

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1932年、兵庫県神戸市生まれ。神奈川県立湘南高校、一橋大学卒業。大学在学中に執筆した『太陽の季節』で芥川賞受賞。68年、自民党から出馬し参議院議員に。元東京都知事。『法華経を生きる』『老いてこそ人生』、ミリオンセラーとなった『弟』など、著書多数。


(出典 news.nicovideo.jp)


(出典 www.jiji.com)



<このニュースへのネットの反応>

ああ!アニメや漫画のわいせつ物は規制といてテメェが売り物にしてた(わいせつ)小説だけ贔屓したり、東京五輪を言い出しっぺのクセして放置しながら批判したり、わざわざ黄泉から弟が迎い来ても死に損なったクソジジィだ!←(笑)


こんな話し方する人だったかな?記憶が怪しい。私も、ボケてきたのかな?


北野武も事故からボケたしな


根拠が精神論と伝聞しかなくて草。


石原慎太郎の過去の悪行はともかく、賛同するも拒絶するも自由だが、枝葉末節にとらわれず、重箱の隅をつつかず、とりあえず一度読んでおいた方がいい。俺はこういうことには平等だからね。


三島由紀夫など、ちっとも美学では無い。今をどう生きるかは、個々人に課せられた宿命ではあるが、年を取っても人生を謳歌出来る様、若い内から若作りに励む事は利得であると思い知らされる。


屁理屈も理屈と言い張る*おじさんだよね。政治家ってみんな頭の病気か、ネジ外れてるけど、そのせいで精神もおかしくなるわけで、そういうのに権力持たせるとこうなるっていう、生きた見本。


虚無は実在するってなんだよ。ゲッターに取り込まれたのか?


石原ほどアニメの裏の裏の奥底まで知っている奴居ないのに。ここの奴らよく言うよ。「宇宙戦艦ヤマト」裏のプロデューサーなのに。


「虚無は実在する」この記事のことだ。


こうやってリアリストを気取ってる割には業病なんて前世を肯定するような発言が自身の口から飛び出すのはいかがなものかと。


おお、プレオンが推すタイプだったか


まあ、死についての読み物を読みたいと思う人間は、死が差し迫っている人間だけだろうな。その人が、死を受け入れられず*恐怖から逃れたいと願う人なのか、それとも死を受け入れた上で死に対する他人の考え方を知りたいと思う人なのかはわからないが、少なくとも一つだけはっきり言えることは、この記事はまるで場違いだということだ。


あるのかないのかハッキリしろよ


まあ結局言いたいことは、「俺は偉い」ってことだな。 いつものように。


石原慎太郎は、血税1400億円を銀行でドブに捨てて、豊洲問題の発端を作って、これでもかと日本の足を引っ張った老害だからな。反日のプレオンからすると、救世主のような敬うべき存在でしょ。


 仏教もキリスト教もまとめて叩き潰す条例作ろうとした張本人が仏教やキリスト教を持ち出して自分を正当化するって、ほんとに左手に麻痺残ってるのかな?やってみたら手のひら返せるんじゃないの?


こういう人間のことを死にぞこないというのでは?


尖閣基金で石原さん持ち上げてたニトウヨの掌返し酷いね😭安倍さんも辞めてしまったら増税やら蒸し返されて叩かれるのね😭


「老齢ゆえの孤独と不安は、必ずしも悪いものとは限りません。私はそうした感情に耐えることこそ、老いての生き甲斐ではないかとさえ思っています」むむ~なかなか想像の難しい心境ですね。


それ「しに損ない」つって墓石に片足突っ込んでる状態な、要約するとリーチかかってる。


さんざ仏教の哲学が~ゆうて若者が幼稚だとか政治家が幼稚だとかホント草。それもまた苦界でしかない現世のあるがままの姿であって先に待つのはそこからの開放、嘆くべきことなど何も無いはずなんだよ


脳梗塞にかかった人間はどうしても人格的に変動するもんだが、石原は全然変わらんな。とりあえず弟と居場所を代わってくれ。


どうでもいいが東京オリンピックの先行きをもうちょっと考えたほうがいいじゃないかな。この人が一番こだわってた議題だし。


だからどうした? **で障子を突き破る行為を死線と呼ぶのか? この死に損ないの痴呆老人のオツムでは。


こいつまだいたのか。東北大震災の時に震災で亡くなった人達に対して天罰だとほざいたり、今のアニメや漫画業界を根本的に腐らせた大現況が何言ってやがる?死線を越えた?実感がある?そんなもの人それぞれだ!


案の定、記事の内容と関係ない事柄を持ち出して批判してる連中の多い事。お前らが嫌ってる政治家とやってる事同じだぞ。石原がどうじゃなくて内容を見て物を言えよ。


でも息子の絵画を数千万で都の金使って買ったんでしょう?