日本のクラシック業界が衰退している。それはなぜか。指揮者の大友直人さんは「評論家ジャーナリストの質が変化している。極端にオタク的な評論が増えた結果、嫌いなものを認めない感性を持つ人を増やし、初心者は聞き方を押し付けられるようになってしまった」と指摘する――。

※本稿は、大友直人『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■90年代以降、勢いを失っていった

音楽のすばらしさを言葉で語り尽くすことはできません。しかし人間は、確かに音楽によって心を癒され、励まされたり勇気づけられたりすることがあります。これほど神秘的でおもしろい世界は、他になかなかありません。

そんなすばらしい音楽を、一人でも多くの人が享受できる。それこそが望ましい社会だと私は思います。クラシック音楽には心の琴線に触れるすばらしいものがたくさんありますから、分け隔てなく多くの人が楽しみ、感動を受け取れる存在であるべきだと思います。”高級な音楽”とカテゴライズされることで、聴かれる機会が減ってしまうのは残念なことです。

しかし今、クラシック音楽界は、残念ながら衰退の道を辿っているといわざるをえません。私自身、自戒の念をもって、これまで私たちは、クラシック音楽のすばらしさを人々に知ってもらうための十分な努力をしてきたのか、今の世の中に受け入れてもらえる、適切な内容の音楽を提供してきたのかということを考えています。

戦後の日本のクラシック音楽界を振り返ると、1970年代初頭までは、東京交響楽団や日本フィルが経営に行き詰まるといった悲劇はありましたが、その分野の努力において状況は悪くなかったのではないかと思います。これは、クラシック音楽界にかかわる人たちが、一心不乱に質の向上を目指していた時代です。

しかし1990年代以降……これは残念ながら私が活動する時期とほぼ重なっているのですが、クラシック音楽界は徐々に勢いを失っていったように思います。

■かつての評論には「社会」があった

その理由の一つとして、まず、クラシック音楽を一般市民に広げていく使命を持つ評論家ジャーナリストの質の変化が挙げられるでしょう。彼らがどんな哲学やポリシーのもとで、クラシック音楽の世界を広げ、支援しようとしたのか。そのやり方に問題があったのではないかとも思います。

私が子どもだった1970年代まで、クラシック音楽の最新情報を入手する主な方法には、音楽専門誌やFM放送ぐらいしかありませんでした。しかしそこでは、吉田秀和さん、野村光一さん、山根銀二さん、藁科雅美さん、中島健蔵さん、遠山一行さん、寺西春雄さん、さらにその前の世代だと、日本の音楽評論の先駆者である大田黒元雄さん、野村胡堂(あらえびす)さんなど、私自身は音楽家としてほぼ接点のない、大正、明治生まれの世代の評論家の文章を読むことができました。

この世代のまっ当な人たちは音楽に詳しいだけでなく、社会とはどういうものなのか、さらに、社会において文化や音楽はどのような存在なのかを十分に理解されていたのではないかと思います。今、聴衆が求めている情報は何か、自分の発信するその情報が世の中においてどんな意味を持つのかを認識したうえで、言葉を発していたように思います。

■「嫌いなものは認めない」人を増やしてしまった

しかしいつからか、音楽専門誌で書かれている評論は、極端にオタク的なものとなっていきました。もちろん、広い知識を持ち、適切な評論を発表する書き手もまったくいないとはいいませんが、アマチュアのそれこそオタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な人たちや自称音楽ジャーナリストライターが、あるときから増えてしまいました。それによって、一般の音楽愛好家がもう少し多くのことを知りたいと思ったときに、評論サイドの個人的嗜好を知らされるだけで本当に有益な情報を得られる場所がなくなってしまったのです。特に、初心者でこれからクラシック音楽を好きになっていこうとする人にとって、適切な情報や文章が提供される場は、ほとんどなくなりました。

長年にわたり、多くの評論家ジャーナリストがその文章や発言によって音楽界を盛り上げるという視点に欠けていたことは否めない事実でしょう。

こうした積み重ねがどんな状況を生んだか。日本のクラシック音楽の聴衆の間に、極端なオタク的感性を持つ人が増えてしまいました。自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人を増やしてしまったといえるでしょう。

■現場と社会を結ぶ「パイプ」不在の状況

この状況は、情報を発信する人たちの自覚が著しく欠けていたためにもたらされた悲劇だったと思います。もちろん私たち演奏の現場にいる人間の責任も大きい。しかし立ち止まることもできず、毎日ひたすら走り続けている演奏の現場を高い見識を持って社会と結びつけてくれるパイプの役割を果たすのが、評論やジャーナリズムのはずです。この数十年間、日本ではその機能が十分に働いていなかったのではないかと思います。

評論家ジャーナリストに、自分もクラシック音楽界の一翼を担っているのだという大きな責任感や使命感を持ち、自分自身の実力と置かれている立場を理解している人がどれだけいたでしょうか。社会をより一層豊かなものにしていくために活動しているのだという意識を持つ人が、少なくなってしまったのではないかと思います。

■「背中を追いかけたくなる大人」が減っている

人が誰かの影響を受け、憧れて上を目指そうとするには、その周囲に本当に魅力的な先人がいることが大切だと思います。それはたとえば、身近なところでいえば父親や母親、学校や習い事で出会う先生など、さまざまなケースが考えられるでしょう。

教育によってそういった立派な人物が増える世の中になれば、自然とその波及効果が出てくるでしょう。理想論、教養主義と言われるかもしれませんが、やはり教養豊かで魅力にあふれた大人の存在は、社会や若い世代を変えると思います。

強い哲学を持ち、日々がむしゃらに勉強した明治生まれの世代の人たちが社会を引っ張ったころのような雰囲気が、もう一度戻ってはこないものか。これは音楽界に限らず、政財界を含め多くの分野において感じることです。

戦後の日本の音楽界を形づくった、戦前、戦中生まれの世代の人たちというのは、限られた環境のなかでも音楽のすばらしさに魅せられ、ただひたすら、一心不乱にその魅力を世の中に伝えようとしていました。

クラシック音楽黎明期のレベルでは、技術的、能力的にできないことが多かったかもしれません。しかし、この音楽の魅力はここにあるのだ、大切なポイントはこれだということをしっかりと理解し、それを世の中に伝えるべく、演奏家、教育者、評論家として、確信をもって邁進した人たちが存在しました。

ところが我々の世代になると、恵まれて豊かな時代に育ったがゆえに、何が大事で、核心はどこにあって、それをどう伝えなければならないかをしっかり意識することなく、漫然と音楽の世界に足を踏み入れる人が増えてしまった。音楽にとって一番大切な骨格や土台をきちんと認識できないまま、この世界で活動している人が多くなったように思います。

今の時代、憧れて背中を追いかけたくなるような魅力的な大人が減っているのではないか。これは、自戒を込めて感じていることです。

■「満席のお客様の前で演じてこそ意味がある」

私は今、クラシック音楽界は、マネジメントのあり方も含め、多くのことを見直すべき時期に来ているのではないかと、心底思っています。

いいものをつくっていればいつか認められる、いずれ広がっていく。そう信じて、お客さんが入らなくても必死に耐えて活動を続けている音楽家はたくさんいます。しかし現実には、ただ演奏しているだけではなんの変化も起きません。

以前、東京文化会館での企画の相談を、能楽師シテ方の梅若猶彦(なおひこ)さんに持ち掛けたことがありました。梅若さんは真っ先にホールの客席数について尋ねられた。2300席だとお答えすると、「それじゃあ2300席を満席にする内容を考えないといけませんね」とおっしゃいました。私は普段の感覚で、「その観点からのスタートですか?」と言ったら、「当たり前じゃないですか! 私たちの仕事は、満席のお客様の前で演じてこそ意味があるんですよ。クラシックはそうじゃないんですか?」と言われてしまいました。

■優秀なリーダーが集まりにくい業界

自分でも情けないのですが、我々演奏家は、リハーサルと本番に全力で向かい、それだけでいっぱいになってしまう。その先を考える余力を持つことがなかなかできません。でも、能の世界しかり、歌舞伎の世界しかり、「満席のお客様に観ていただいてこそ価値がある」。公演の採算を考えても当たり前のことです。あらゆるところに気を配り、アイデアを出す。本来は、そうでなくてはいけないのです。

とはいえ、コンサートをつくっているのは演奏家だけではありません。オーケストラホールマネジメントスタッフの力もとても重要で、それぞれが努力を重ねています。しかし現実問題として、クラシック音楽マネジメント側の人材に目を向けると、本当に優秀なリーダーが少ないという厳しい現状もあります。

世の中はいつだって優秀な人を求めています。本当に高い能力のある若者は、求められて一流企業や官庁の仕事に就いたり、自らベンチャー企業を立ち上げるなど、別の道に進んでしまうケースが多い。ビジネスとしての成功が簡単ではなく、不安定なクラシック音楽界には、なかなか優秀な人材が集まらないのです。

■若者と新しいコンサートシーンを創り出したい

戦後すぐの時代にN響の事務長をつとめた前述の有馬大五郎さんなどは、今考えてもオーケストラマネージャーとして相当優秀な方だったと思います。しかしそれも、当時の日本では、クラシック音楽がまだ黎明期にあったから実現したことだったのかもしれません。

もちろん、今、クラシックマネジメント側で働く人々の多くは、音楽を愛し、本物の音楽を届けようと試行錯誤しながら勇気を持ってこの困難な世界で努力を重ねているすばらしい人たちです。

本当に実力のあるアーティストを育て、価値のある演奏会をつくるにはどうしたらいいか。もしかしたら、すでに何かしらの固定観念に縛られている自分に近い世代の人に、変わらないといけないと伝えるより、次の時代をつくる若い人と議論を交わしていくほうが近道なのではないかと最近は思っています。中学生高校生のような若い世代に、知識や社会観、自分が理想とする音楽観を伝えたり、議論してみたりすれば、そのなかから次の時代を担ってくれる人材が生まれるかもしれません。

目を凝らして若い才能を見つめて、新しいコンサートシーンを一緒に創る人を見つけ出したい。異論を唱えて、向かってきてくれるくらいの人材のほうが、私はむしろうれしいです。こちらが打ちのめされて、負かされたってかまいません。まだ私にも戦う気力はありますから。創作意欲、夢と希望にあふれる10代や20代の方と一緒に物づくりをしたい。今はそんなことを夢見ています。

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大友 直人(おおとも・なおと)
指揮者
1958年東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳で楽団推薦により同団を指揮してデビュー。以来、国内の主要オーケストラに定期的に客演する。日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、東京交響楽団常任指揮者、京都市交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドバイザー、群馬交響楽団音楽監督を経て現在東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授、洗足学園音楽大学客員教授。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cyano66


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

オタクとなんの関係が?


業界関係者がクラシックを高尚なものと位置付けて勝手に門戸を狭め自分の首絞めただけのような?ジャンルのすそ野を広げる努力をしていたようには到底思えないのだが。


アニメゲームの音楽を元ネタにしたアレンジオケの話かと思った。


オタクは関係ないな、評論家が*なだけで。学問の神様”菅原道真”公も評論家は*と書いてるし


そうかあ?むしろ90年代なんてエヴァの影響でクラシックブーム結構来てたぞ


クラシックの関係者が高尚さだの格式だの勝手に後付して自分で首絞めてるだけだぞ


今のご時世近所迷惑でちょっと音鳴らしてみるかってわけにいかないしな。昔と比べて門が狭くなっただけでしょ。


自分たちの事を棚に上げて評論家やオタクうんぬん語ってるのはお笑い草。オタク的な思想になってしまったあなた達によってクラシックは*れたんだろうな。


ってか散々漫画でもネタにされてきたけど、評論家や先生と言われてる連中、コンクールでの採点者など、どいつもこいつも幼稚でナルシストで知恵遅れの自意識過剰で気持ちの悪い餓鬼か老害しかいないじゃない。やつらこそ真のオタクだろ、おまけに既に対して価値のない物に金ばかりかけさせ、毟り取る。奴らこそが新しい世代の足を引っ張るだけのお荷物で腐らせている汚物で癌


ここでのオタクってどっちかって言えば昔ながらの意味の方だろ?要は知識や造詣が浅くて、好き嫌いでしか語れないのに有識者ぶってる評論が増えたんだろ。趣味なら良いけど仕事にするには程度が低い人が台頭してるっていう、最近は色んな業界で生じてる問題点。


芸大とか美大とかはその道の有力者へのコネ作りに行くために行くとはよく言ったもんだ。


プレオンはオタクに親を*れたか何かしてるから、不必要に敵視してるんだろうな。


へー、オタクに滅ぼされる程度なら仕方ないね。


90年代はエヴァのお陰でオタク層にクラシック愛好家が増えましたね(笑。あれが叩かれてるのかと思いました(笑。


*れつつもなにもクラシックは作者が*だあとからがなんぼの話世界だろうに。


最初は音楽の聴き方を規定してはいけないという、素晴らしい話だったのに、途中から現代社会の批判になってしまったのは残念。明治の元勲が今に居ても、逆に浮いてしまうだろうし、筆者は出る杭を叩く側に回りそうで何とも……


オタク叩きかと中身読まずにピリピリしてる兄貴は一呼吸おいてちゃんと中身読んでほら。良い記事だから


個人的な好き嫌いが評価基準の偏狭なクラッシックオタクは一般人とプロの橋渡しの役目を期待される評論家として使い物にならないどころか新規のファンを増やすのに邪魔だそうです。


文化などいつかは廃れるものよ。日本だって俳句作る人の数ほとんどいないだろ?いいものを後世に残そうとするのは良いが、消えることもまた時代の流れなのよ。クラシック以外にも興味を向ける対象が増えたのだから、クラシック人口の割合が低くなるのも当然


そんな奴に批評の仕事頼むヤツが軽率なんだろうな。


オタクって言ってもクラシック音楽のオタクの事ね


何か悪意のある題名の付け方だな。まあプレオンだからわざとやってんだろうけど。それにしたって、日本の音楽業界自体が衰退傾向なんだから余計にクラシックなんて衰退して当然なんじゃなかろうか。


新曲が出ないジャンルでアレンジはクソとか言ってるアホがいる分野がどうやって躍進すると?そら名曲が多いから一定ラインまでは衰退しても無くなることはないジャンルだけどね


オーケストラはゲーム曲とかの演奏で新規の需要があるし、そのための技術習得目的でクラシックは生き残るでしょ。他の多くの消え去りそうな文化よりはだいぶマシな状況だと思う


カスラックにはカスられもしないのに自滅かよ。


クラシック演奏する側としては登竜門とさえいえる「学校の吹奏楽部」の活動を取りまとめてる吹奏楽連盟が10年以上ガバガバなやり方で(確認できるだけで)1.5億円超を不正受給した話する?


久石譲や甲田雅人のような天才が現代に生まれた事は喜ぶべき事だと思うけどね。


初心者は聞き方を押し付けられるようになってしまった < それクラシックファンのせいですよね? オタクとかなんとか関係ないでしょ。バカなの?


高齢化に老害、若者とのジャンル違い というか評論とか言ってる時点が衰退させてるの自分たちやんけ! 


どんな会社もそうだしどんな世界もそうだけど、昔ながらに現代を取り入れて進化しなければ生き残れないのは、自然界の掟だぞ。


琵琶とか琴とか太鼓かな?っと思ったらコッチかぁ。そっちも嫌いじゃないけど聞ける場所があんまりない印象。楽団だと維持コスト大変そう


具体的な話もなく、というか何故か能の話に終始する謎のコラム。ラ・フォル・ジュルネの宣伝でもしてはどうか。


「嫌いなものは認めない」>プレオンがそういう姿勢を批判するとか何かのギャグかな?あとオタク関係ない件


高校の時なんか有名らしいテノール歌手呼んで市民ホールで全校生徒強制参加の芸術鑑賞会やったらブーイングの嵐で本人早々に退散してたな。次の年のマリンバ奏者はみんなに受けて拍手喝采あびてたけど


ここでのオタク≠アニオタ。読めば分かるのに。自称上級者のクラシックオタクに言及しとるだけやで。


つまり「オタク」という言葉でレッテル貼りをしたい老害か。うん、*ばいいんじゃないかな


評論家やライターの問題なのに(一般的な意味での)オタクが悪いと誤認させる悪質なタイトル


自然哲学が専門分化して自然科学にとって代わられたように、クラシックという音楽の1分野で、音楽文化全体を包括する教養人を求めるのは酷な話だろう。そういう1人の巨人を望むよりは、謙虚なファシリテーターやコミュニケーターを育成するほうがまだ現実的と思う。


この記事、アニオタじゃなくてオタク(専門家みたいなもん)だね。クラシック聴く現代人ももはやお宅に籠ってるだろうしまぁ間違っちゃいない。ネットが発達してわざわざオーケストラ見に行く必要がなくなってきたんだろうな。で、人件費だけが上がっていくと。記事ほとんど読んでないけどそういうことじゃない?


読まずに発言する害悪オタクはここにもいるようです。


この記事わざと炎上させようとしてるのか、オタクというよりニワカとという意味で理解したほうがしっくりくる。そのニワカのせいで職人を目指す人が減ってるということ。明らかに書き方が悪い。


これ書いた記者みたいに客観性を欠き主観で理論を構築するファンが増えたため衰退したということでいいのかな?むずかしくてぼくよくわかんないやあ


「オタク」じゃなくて「音楽オタク」とでも書いとけ。どうせわざと何だろうけどさ。


オタク=アニオタ、ドルオタだけじゃないのに勘違いしてる奴痛すぎだろ。こんな過剰反応してるから「だからオタクは」と関係ない分野でも言われるんだろうよ。


頭が痛い人>そんなことわざわざ言われなくても記事読めば分かるし。プレオンだからって内容を確認せずに条件反射で批判してたら、自分らの立場悪くするだけって理解してくれよ。


クラオタもジャズオタも相手にするのめんどくさいことこの上ないからな。情報食ってるラーメン通みたいなもんだ


オタクとミーハーを混同してるような気がする。今時のオタクって昔でいうミーハーみたいなもんで、本当に狭く深く追求するオタクってのはいなくなった。ミーハーがその時流に合わせて声がデカイわ、後から入ってきてルールやモラルをぶち壊して過疎らせて、次にいくのはマジで迷惑。


クラシックは完全になくなることはないさ。


クラシック好きって気軽に聴く事を許さない人が多いイメージ


ばにしゅ>「読めばわかる」ってのは「読まなきゃわからない」と同じこと。むしろオタクの定義は幅広いからこそ、誤解を生まないように何のオタクかをタイトルに書くのが良心的な記事だと思うがね。この記事にはそういった良心をまるで感じない


ジャスラックのせいです。ゴミみたいな老害・官僚・幹部は頃して、どうぞ


日本は才能についての議論をする事がないから才能が無い人が評論家きどったりするからね、努力を重んじる国民性なのもわかるけど・・・それだから見る側聴く側が育たんのよね、そういう意味ではアニオタとかは議論するから見る目肥えてるんじゃないか?


タイトルで釣るような記事が増えた弊害が、記事の中身を読まない客が増えたって本末転倒じゃね?と思うが...


で、今は「オタク」に救われつつある訳だがクラシック業界。「客の入りがすごく良い」アニメコラボの評価が全くないのはどうしてよ?


何の趣味でも新規の人が入ってこなきゃ老害のサロン化するんだよ。ライター側がそうなってしまったのを嘆いているんだね。


クラッシックに限らず、音楽業界の衰退はJASRACのせいだと思う。街角で店内で音楽を何気なく聴く機会がないんですよ。聴いたこともないものを好きにはなれないし、購入意欲もわくはずがないの。ふと耳にしていい曲だって、みんなから音楽を好きになる機会を奪ってしまったのは本当に残念。


クラシックも純文も歌劇(歌舞伎含む)元は大衆娯楽のくせに歴史があるから高尚ですって周囲に喧伝して客選んだだろ。歴史は歴史でも過去の栄華に縋ったカビみたいなもののくせにな


音楽性の違いによる解散。クラッシックも良いけど、新しい楽器や曲調も使いたいよねという話では?


「好き」「嫌い」の好みの問題を「普遍的価値観」のように吹聴して強要するのは私も好きでない。自分以外の「他者」と言うか「外」への視点が無いのはツライ。演奏家に個性(クセ)があるように聞いている自分にも個性(クセ)があるのが理解出来てない人の、特に批判的意見を見るのは確かにしんどかった。私もクセがある。好きな物を讃えるのはともかく批判には慎重でありたい(願望)。


たしか岡田暁生氏の著作だったか?音楽は曖昧で言葉にし難い。なぜならワインのテイスティングやマッサージと同じで「音楽」とは「触れてくるもの」だからだと。音楽批評は「何とでも言えてしまう」(それゆえに面白い‼プロでもアマでも)側面があるのだが、その負の面が出てしまったのだろうか。


オタクっていう言葉が適当じゃないよな。業界の偉い人のゴマスリ、気に入らないものを業界から排除する人間を短く表現する言葉がない。どの分野でもそうだけど、上の連中が村を作り始めたらブチ壊しにいかないとダメじゃなかろうか


オタクという言葉は別に間違ってない。文章読めば二次元オタクの意味じゃないのはすぐわかる。なにオタクって言葉の主導権みたいなの握ろうとしてるんだよ。


ゲームのオーケストラコンサートとかちょくちょくやってるしクラシックに親しむきっかけは結構多いと思うんだけど、そういうのをけしからんと思ってる人たちが多いんかね


まあちょっと考えればゲーオタ・アニオタじゃないってのは分かるよな。カスラックの御蔭でそっち向けのコンサートやっても金取られて儲けが少なくなるからな。オタクって言葉がそっちの奴を指してるなら、タイトルは「カスラックに*れる」ってなっただろうしな。


日本経済が上向きだった時代には、クラシックは【高尚な趣味】の一環と見なされもてはやされた。だがバブル以降、実利主義の普遍化によりその高尚な趣味に価値を見出す層が激減した。記事中のオタク=【格式ある高尚なクラシックを頂点に置く価値観の年季の入った評論家】が大衆との乖離を生んでいる。落語で言えば古典落語以外認めない評論家と同類


硬直化の原因になっているとはいえ、クラシックいう音楽ジャンルをクラシックとして認識できるのはそういう伝統というかテンプレートを維持したいと思い活動を続けている人達の成果でもあるからな……。個人的な感想だけど、需要が減ったのは露出の機会が減って人々が良さを認識しなくなったからだと思うけどね。技術があるなら別ジャンルとして新たなものを開拓してみたらどうだろうか。


1989カラヤン永眠。数年後、カラヤンて何がすごいのかねーと言いつつ「マタイ受難曲」を手にする私。クラシックになんかまーったく興味ないけど。カラヤンの何がいいのか、いまだに口にはできないけど、年に一度、聴きたくなる。だから今だに部屋にある。だからすごいのだと思う。で、大衆とクラシックの距離ってのは、ちょうど私とクラシックの距離と等距離だと思う。


本当は全国の小中学校の体育館から、年に一度、なんか美しい音楽が響いてくるレベルで、クラシックは近くにあるべきものだったんだろうと思う。でもそうはいかず、時代は逆にいいシンフォニーホールを作る方向に動いた。岡山でもシンフォニーホールができた。行ったことはない。近寄る方向に行くべきだった。音楽部は部活の華になりえた。でもなれないでいる。そこだと思う。


この記事が嫌いなものを認めて無い気がするんだが。


とりあえずこの人がオタクが嫌いで認めてないのは伝わった


記事読めば分かるがこの人言ってるのはクラシック音楽のオタクってことだと思うぞ 良さが分からないお前らが悪いんだって息巻くような 言ってみれば任天堂いなかったらゲームが普及しないよねみたいなそんなこと言ってる プレオンだから信用ないのわかるけど


タイトルだけで的外れなこと言ってるの多くて草


八つ当たりレベルでオタクと全く関係なかった。日本だとベートーベンが渾身の力を込めて作った第九第四楽章を特攻隊で*だ人の慰霊のために年末に流しまくるとか、そういう無関心な所が悪いと思う。


『日本のクラシックは「クラシックオタク」に*れつつある』てタイトルにするべきだったってことでOK?


私はオタクだがオペラ歌手を50まで続けて、今は指揮者。昨年はオケと合唱合わせて百数十名で演奏しましたが何か?


要するに、自分が売れなくなったのをオタクのせいにする情けない演奏家だな?


オタク関係ないとか言ってるやつは、記事全文読んでないでしょ。オタク気質の評論家が多くなったってことやん。


いわゆるマニアって意味の本来のオタクの使い方だろうに、ていうか普通に考えてクラシックオタクのことだってわかるだろ


問題は「オタク」と言う言葉をあえて使ってる事。おまけに昔の批評家の方が余程変人が多かったし、金で批評を買えた。以前Dという批評家に100万円出せば良い批評を書くよと持ち掛けられた事も有る。


ぶっちゃけ評論家という職業は各種業界にへばりつく寄生虫で、この世に必要ないものだと思っている。人の努力を侮辱して収入を得るというのは甚だ卑しい。何の利益も得ない行動であるなら表現の自由の範囲内だと思うけど。


クラシックは元々敷居が高めだと思うけど。それがたまたま好景気のころ一般市民にも何となく広がっただけだろ。そもそも音楽自体が、趣味嗜好が多岐にわかるもので、誰もが同じものを聞くということの方がおかしい。マスコミに踊らされて誰もが同じことをする時代こそおかしかったのであり、今それが当たり前の方向に移行していると私は思う。


都合の悪い集団=オタクというレッテル貼りはマスコミが繰り返し行なったきた事。特に上の世代はテレビに洗脳済みの方が多いので、知識のアップデートがなされていない。マスコミがマンセーするビルゲイツもジョブズもオタクだよ。


まぁ「嫌いな物はひたすら叩く、俺が正しい!」ってやつばかりになったのは事実


オタクを取り込もうとせず、敵としているだけの記事でした。クラッシックをうまく使ったアニメ作品もあるのに、そういう作品をピックアップするくらいの努力はしてから出直しましょう。


そもそも一生、流行り続けるもんなんてないだろう。クラシックが出てくる前に流行ってたものだって廃れてクラシックになり変わられた時代だってあっただろうし。クラシックが廃れる番になっただけ。


まぁ一昔前に流行ったオタクに媚びてアニソン弾いてみました的なのも気持ち悪かったけどな、しかも実力ないのにプロを自称して信者作ってたし、まぁでも今の量産型アイドルとアニソンだらけになり果てた邦楽界隈よりはよっぽどましだろ


プレオンらしい記事というか。自分たちは「分かってる側」で、社会が悪くなる原因の「悪いやつ」がいて、俺たちはよくしていくための動きを知っている、と。別にこだわりある人がいるのは悪い事じゃないし、そうじゃない裾野が無いのはその人たちの精じゃなくて社会制度や趣味嗜好、生活スタイルによるもの。


オタクって総称みたいに使うのは分かるけど、今回の場合はクラシックオタクと分けた方が分かりやすいだろうね。


それは「音楽オタク」のせいじゃなくて、もともと業界の怠慢で滅ぶものがオタクのおかげで生き残ってただけ。…正直一昔前だとクラシック演奏家ってジャズやポップス、演歌をバカにする言動普通にしてたし。


のだめとかあったからオタクの方が多分クラシック音楽業界には貢献してんぞ


演歌歌手みたいなこと言ってんな。


アマチュアでオタク?え?どっち?フワっとしすぎなんだが。。。音楽趣味の陰キャって言いたいの?なるほど、ふわっとした感性の方ですね


オタク批判を敢えて外せば「強い哲学を持ち、日々がむしゃらに勉強した明治生まれの世代の人たちが社会を引っ張ったころのような雰囲気が、もう一度戻ってはこないものか。」でダメ。聞こえは良いが「バブルよもう一度」みたいな高望みになってる。


なんでオタクの所為にしてるの?


いい加減、「仲間内の気に入らないヤツ」という意味で「オタク」という言葉を使うのを止めないと、恥をかきますよ。


「オタク」じゃなくて「マニア」って書けばいいのに。そのほうが適切だろうが、釣れないからオタクと書くしかないんだろうな。


普段オタクっていうのは何かに熱心に打ち込んでいる人だって力説する人が多いわりには、そういう意味を想定して書いているこういう記事の「オタク」にはそういう人が湧かないな所謂オタク気質のなんちゃって評論家によってのジャンルの衰退、クラシックだけに限らずサブカル系でもよく見る話じゃないか


凄い。全編「(何もしていない)自分は悪くない。周囲が、世間が悪い。」としか読めない内容だった。気軽に聞きに行けないように敷居を高くたのは自分たちを含んだ業界じゃないのかな?


はいはい、オタクの所為オタクの所為自分達の能力のなさもオタクの所為はぁ~、アホくさ


クラシックに限らず、音楽の評論なんてラノベみたいな中二病ナルシスト系のトンデモ文章ばっかりやん。とはいえ、真面目なアナリーゼは知識のある人にしか理解できないし。現代の消費社会で受身しかとれない大衆にとって、ほんの少しでも敷居の高い娯楽は受け入れられる余地など皆無でしょう。