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    2020年03月

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    2020年3月19日韓国ニュース1は「新型コロナウイルスが世界に広がる中、韓国の対応が模範事例となっている」と伝えた。米ロイター通信が18日付(現地時間)の報道で「世界最高の医療レベルを誇っていた米国を抑えて、韓国が世界最高の新型コロナ診断国となった秘訣」を分析しているとし、その内容を詳細に伝えている。
    記事によると、ロイターは「韓国は発病初期に政府と民間が迅速に動き、診断キットの準備に着手した。中東呼吸器症候群MERS)流行時の防疫ミスの経験を教訓に、ドライブスルー方式の検査を導入するなどの創意性も発揮し、予想外の発病者急増にも迅速に対応した」と評価した。
    また、「1月下旬、中国では新型コロナウイルス感染症発病例が急増していたが、韓国ではわずか4件だった。それにもかかわらず韓国政府は効果的な診断キットの必要性を考え、メーカーに迅速な規制承認を公言した。2月4日には疾病管理本部がKogene Biotech社に新型コロナ診断キットの緊急使用承認を出し、その後他メーカーも相次ぎ診断キットを開発。テスト方法に関する情報を公開したことで、診断キットの開発に拍車をかけることができたという。さらに2月中旬以降、毎日数千人を検査できるドライブスルー方式の選別診療所を開設し、韓国は世界から注目を浴びた」と伝えた。
    さらに、「2月中旬に大邱(テグ)の新興宗教施設、新天地イエス教会で集団感染が発生するという危機もあったが、韓国政府は迅速に対応しており、大邱の新規感染者は現在、ピーク時に比べて大幅に減少した」とも伝えている。
    一方、米国の対応については「韓国の迅速な対応とは対照的」だと指摘。「米国は韓国と同じ日に初事例が判明したが、キット需要に迅速に応じることができなかった。人口3億3000万人の米国で、記事配信時までに実施された検査は約6万件に過ぎず、診断結果が出るまでの時間も、韓国の6時間に対し、米国は数日かかる上、欠陥も多い。その結果、米国は感染者の規模や、どこに集中しているかなどを完全に把握できずにいる」としたという。
    米誌タイムも「米国のキット不足は恥辱であり、感染症と戦う準備ができていなかったと映る」と批判。韓国が初期からキット開発のため民間を活用したのに対し、米国は慣例どおり、米疾病対策センター(CDC)のキットに依存したためという。
    ロイターはまた、「韓国がリスクを甘受し、まずキットを活用した上で効果性を改善していったのに対し、米国は使用前に正確性を高めようとしていた」こと、「韓国が検査対象を全方位に拡大している時、米国は中国などのホットスポット訪問者や感染者に接触した人物だけを検査対象とした」ことも、拡散を抑制する機会を失った原因に挙げている。
    先週、米下院で開かれた非公開会議で、ラウルルイズ議員(民主党)は「米国食品医薬品局(FDA)やトランプ政権を「なぜ米国は韓国のようにできないのか」と猛非難し、韓国のドライブスルー方式の導入を提案した。韓国からの検査キット購入を検討する必要にも言及したという。
    ロイターは最後に「その後、米国でも一部医療機関・地域でドライブスルーの導入が進んでいる。また、韓国の診断キットは全世界からラブコールを受けており、韓国製キットは不正確だと批判していた米国もそのうちの一つだ」と伝えたという。
    韓国のネットユーザーからは「今回の新型コロナへの対応を見て、韓国は先進国だと確信したよ」「海外居住です。祖国、韓国を誇りに思います」などの喜びの声が多く寄せられている。
    特に「MERSを教訓に?当時の政権が今、執権していたとして、うまく対応できたと思うか?それは違うと思う。現政権は、本当に世界最高だということだよ」「過去を反面教師にしたのではなく、故盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が作った災害マニュアルアップグレードさせた成果だ」「公務員は以前のまま、国民も同じだ。変わったのは大統領だけ。1人の大統領が変わるだけで、天地の差が開く。リーダーとはそれだけ大事なものだ」「文在寅ムン・ジェイン)政権は迅速によく対応している。新天地の問題さえなければ、今頃は終息していただろう」など、文在寅政権を称賛するコメントが多く見られる。(翻訳・編集/麻江)

    19日、韓国・ニュース1は「新型コロナウイルスが世界に広がる中、韓国の対応が模範事例となっている」と伝えた。写真はソウルのマスクを求める人々。


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     安倍総理大臣は23日の参議院予算委員会で、東京オリンピックパラリンピックについて無観客や規模を縮小しない完全な形での開催が重要だとした上で、「それが困難な場合には延期の判断も行わざるを得ない」と述べ、初めて「延期」に言及した。その上で、「中止は選択肢にない」と強調した。
    ANNニュース
     

    各国から“東京五輪延期”求める声

    安倍総理、東京五輪“完全な形”での開催困難なら「延期の判断も行わざるを得ない」


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    パチンコ店の禁煙化で客足は鈍る?

    もうすぐ、歴史が変わる。長らく愛煙家の楽園だったパチンコホールが原則禁煙となるのだ。そもそもなぜ、パチンコホールが全面禁煙となるのか。その理由は、この4月に施行される、改正健康増進法にある。

    今後は公共施設だけに限らず多くの施設で禁煙というルールが適用されることとなり、パチンコホールも例外ではない。喫煙が可能なのは屋外の喫煙エリアか、もしくは喫煙室ぐらいになる。

    全国のパチンコホールでは、今次々に施設内を改築して急ごしらえの喫煙ルームを設けているし、既に設置済みのホールもだいぶ増えてきた。(文:松本ミゾレ)


    パチンコユーザーは「ほとんど煙草を吸いに来てるようなもん」


    今日本で一番副流煙を浴びたいなら、パチンコホールに行けばいい。それぐらいパチンコユーザーの喫煙率は高い。パチンコ情報サイトP-WORLDによると、パチンコユーザーの喫煙率は54.7%(2018年)だという。

    今、日本人の喫煙率は既に20%すら切っているので、かなり高い。しかし個人的には「あれ? もっと多くないか?」という気になるぐらい、パチンコユーザーって本当にずっと煙草を吸っている。ちなみに僕は煙草はやらないが、副流煙を長年吸い続けているので、きっと肺は真っ黒だろう。

    もう間もなく遊戯中の喫煙は一切NGとなるが、これに危機感を抱いているのが、他でもないパチンコホールの関係者だ。

    先日、5ちゃんねるに「ワイパチ屋社員、4月からの全国禁煙で客足が絶対に落ちると咽び泣く」というスレッドが立っていた。スレ主はパチンコホールを運営する企業の社員で、恐らく現場で仕事をしている様子である。

    彼の勤務する店舗では、既に喫煙室を設置したということだが、ユーザーについては「ほとんど煙草を吸いに来てるようなもん」と評している。この言葉は別に悪気があってのものではない。本当に、そういうユーザーっているのだ。

    実際このスレッドにも、愛煙家からの悲観的な声が寄せられている。いくつか紹介したい。

    「パチでタバコ吸えないなんてほんま拷問やろな」
    「『タバコ吸いに来てる』はマジやな。出玉規制とかよりよっぽど致命的や」
    「大当たり消化しながら吸うのがええんやろ。喫煙所とかちゃうねん」

    と、こんな感じの書き込みが色々と目につく。

    また、スレ主が働くホールでは遊技台が満席になるとボーナスがもらえるのだという。今後は完全禁煙となって客足が遠のくことが予想されることから、ボーナスの遠のくことを残念がっている。ホール側としては、喫煙者を長時間台に縛り付ける煙草の効力が失われたことに、危機感を抱くほかないようだ。


    禁煙化で変化に対応できない弱小店が勝手に沈んでいく?

    パチンコホールが完全禁煙となると、これまでずっと遊戯中に喫煙していた人たちの何割かは店に行かなくなるはず。それがいくら少ない数であっても、今、新規ユーザーを獲得できていないホール業界にとっては頭の痛い問題だ。

    パチンコホールから喫煙者がいなくなると、体力のない弱小店は沈むことになる。弱小になるには色々理由があるのだが、大抵こういう店舗は玉を出さない。期待感のない店はお客にそっぽを向かれ寂れていく。

    つまり、この改正健康増進法がトドメとなり、ボッタクリホールが撤退するということは十分考えられる。そもそも多すぎるパチンコホールという名のギャンブル施設を削減するという意味ではアリだろうし、経営者にとっては店を閉めるいいきっかけにもなる。もう恐らく、往時の頃のような黄金時代の再来なんてありえないわけだし。

    まあ「弱小店は玉を出したくても出せないんだよ」というお叱りの声が飛んできそうだが、出せるときに出し切れてないから弱小店になる。そんなお店で、煙草も吸えないというのであれば行く意味がないと見切る人は多いだろう。

    4月以降、パチンコホールの来店者数は確実に減る。でも、パチンコホールの中には、完全喫煙を予測し、何年も前から喫煙エリアと禁煙エリアを設けるなどの策を講じているところもあった。そういう先読みができているホールは、とっくに非喫煙者のユーザーを掴んでいるので強い。先読みをするのは商売の基本だ。

    その対策をここに至って一切やってこなかったホールなんて、いちユーザーからして見ても「いろいろと心配」と思っちゃうという話。

    禁煙になったって玉やメダルを出してくれりゃあ皆通うのだ。だから出せばいいのだ。そんな簡単なことが出来ないのであれば、それはもう潮時でしかない。




    (出典 news.nicovideo.jp)


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    漫画家イラストレーターのきくちゆうき氏が自身のツイッター上で連載していた4コマ漫画100日後に死ぬワニ』が最終話を迎えると、ネット上では「マジ泣けた」などと感動の嵐に包まれた。

    しかし、それと同時にグッズ展開を始めとした大規模キャンペーンスタート。あまりに"ビジネスライク"な流れを受け入れられず一転、炎上につながった。

    そして、同作で別の意味で涙することになったのが転売ヤーだろう。メルカリでは3月23日時点で、ロフトやタワーレコードの一部店舗で限定販売されている缶バッジタオルなどが定価を上回る価格で転売されている。トータルで1000件以上出品されているが、その多くに買い手がついていないのだ。


    タオルが定価の5倍超 限定商品、新品未開封だが……


    例えば、ロフトで限定販売された定価650円の「ダイカットタオル」は、高いものだと5倍超の3999円で出品されている。タワレコの「トレーディング缶バッジ」(550円)は全6種セット4999円、1枚からだと1000円以上の価格に設定されている出品が多い。

    いずれも新品未開封の出品が多く、今月21日に発売されたばかりの商品であることから、最初から転売目的で購入された可能性は高い。

    同作は、昨年12月12日から2020年3月20日まで毎日1話ずつ投稿された4コマ漫画。コマの最下部に記された死までの残り日数が減っていくライブ感と、その一方で主人公のワニがごく普通の日常を送っていく姿とのギャップを描いている。タイムリミット100日目が近付くにつれて、ネット上などで話題になっていた。




    (出典 news.nicovideo.jp)


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     年度末、欧州出張の予定を組んでいましたが、EUの域内封鎖によって渡航そのものが不可能となり、3月20日を日本で迎えることになりました。

    JBpressですべての写真や図表を見る

     また私の同級生が絞首刑で命を失ってから、1年半ほどが過ぎ去っています。

     いまから25年前、1995年3月20日に何が起きたか、リアルな記憶を持っている人は、ほとんどすべてが、すでに30歳を超えている。

     ということは、10代、20代のほぼ全員は、1995年3月20日、いったい何が起きたか、よく分からない。全く知らないという学生も決して珍しくなくなりました。

     今回の読者は、そういう若い人を念頭に、伝えておきたいと思うことを記しています。

     東京大学で私のクラスやレッスンを履修する人は、いまでも半期に一度だけ、この話をダイレクトに聴きます。

     そうでない、若い世代の人たちのために、本稿を記します。

    1995年3月20日を繰り返さないために

     現在キャンパスで学ぶ学部学生は19~22歳程度、つまり1998~2001年頃に生まれた人たちが、大学の教室を埋め尽くしている。

     教室に居並ぶ学生たちの、誰一人として、あの日のことも、「カナリヤ」も「上九一色村」も何も知らない。

     そして、当時の学生たちが騙されたような似非宗教の霊感商法詐欺に、いまの子供たちは、当時の学生以上に簡単に引っかかってしまうだろうことが、容易に予想されるのです。

     私自身は一切見ないのですが、世の中では本学在学生を面白おかしくタレント扱いする、極めて低俗なテレビ番組などが視聴率を取っているとも漏れ聞きます。

     かつてテレビ番組で生活の一端を支えた一個人として率直に思いますが、テレビという業界は浅ましい商習慣がたくさんあり、学生たちの将来をスポイルしかねない。最悪と思います。

     そこでちやほやされている可哀そうな本学学生たち、例えば医学部に現役で入って最上級の6年生でも、地下鉄サリンの翌4月からの年度に生まれた子たちですから、何が起きたのか、リアルに知るわけのない世代です。

     なぞなぞその他には詳しいかもしれないが、社会常識などは極端に欠落している可能性も懸念され、率直に申して心配な傾向です。

     そんな若い人たちが、25年目の3月20日、あの日に起こったようなことを繰り返さないために、以下、簡単に記してみたいと思います。

    きっかけは小さなことだった

     現在でも、大学に入るにあたって実家を出、下宿する人は決して少なくないでしょう。

     夕方の5時すぎ、暮れなずむ町の光と影のなか、下宿に戻るべくキャンパスを後にする、運動部帰りの真面目な大学生の姿などは普通に目にするところです。

     それを大学の正門あたりで待ち伏せして「すみません、ちょっとアンケート取らせてください」などと、18歳前後の可愛らしい少女が近づいてきたら・・・。

     結構な割合の大学生は、足を止めるのではないでしょうか?

     そこでは、愚にもつかない質問・・・といいつつ、文系か、理系か、とか、彼女がいるとかいないとか、下宿の住所とか、決定的な個人情報もしっかり盗んでいこうとする・・・をいくつかした後、

    あの~、私たち、カレー作りとヨガのサークルなんですけど、吉祥寺スペースを持ってるんです。スパイスの味見を兼ねて、ちょっと遊びに来てくれませんか?」

     などと、ウルウルした瞳の女の子に目を見つめて頼まれたら・・・。

     そのままフラフラとついて行ってしまう男子は、現在だって決して少なくはないでしょう。

     少林寺拳法など、体を動かしている系統の学生であることは、荷物やヘアスタイルなどからすぐに分かるわけで、そういう学生を狙って、つまり身体を動かすことが好きな、また、純朴そうでこういう「ナンパ」に弱そうなヤツを狙い撃ちにする。

     そして「一緒にヨガ、やりましょうよ!」などと誘って行く・・・。

     地下鉄サリンを撒いた私の同級生やその仲間たちは、こんな一見するとどうでもいいことから、「オウム真理教」という犯罪集団は、計画的に全国の「優秀」とされる大学から、「人材」をスカウトしていった。

    「ヨガのサークル」までついて来たら、半分は目的を達成しており、それからしばらくは、表向きは何もせず。人間関係を作ることだけにオウムは集中したようです。

    「友達」になってしまうと、抜けるにも抜けられなくなる。

     もともとは責任感も強い、優秀な、でも奥手で不器用な少年たちですから。気がついたときにはズブズブのしがらみで、「サークル」でどうにもならなくなっている。

     例えば、教団から選挙に出るといったことがあり、「ゾウのお面をかぶって駅前で踊る」といったキャンペーンに、しっかり投入されてしまうのです。

    小さな蹉跌を見逃さない

     そうやって、大学と並行して「サークル」のメンバーにしておいて、教団側は若者の心の小さな変化を、そっと窺っていました。

     小さな傷心はティーンや20歳過ぎの若者たちには日常的にあるものです。これに直面しているタイミングで、「青春の悩み」に答えるところなどから、少しずつ「宗教」の方向に引っ張っていった。

     多感な若い時期、自分の将来も決まっておらず、いろいろ悩み多い時期です。

     加えて、テストの成績が振るわなかったとか、友達と喧嘩したとか、片思いだったのが振られたとか、日常いくらでもある心の隙間風を捉えて、教団は計画的に若者の人生を狂わせていった。

    「薬物」や「暴力」を使って、人の意識や行動を自由に操ることを「洗脳」と言います。これは文字通り「Brainwashing」、つまりゴシゴシと脳を洗ってしまう。

     これに対して、暴力やクスリを用いることなく、人の意識を変性させていく手法を「マインドコントロール」と言います。

     この言葉も、オウム事件以降、世の中に広まりましたが、いまの10代、20代はどのように理解しているでしょうか?

     オウム真理教が最初にスカウトで行ったのは「マインドコントロール」でした。しかもそれに、音楽やビデオなど、マルチメディアの機器を駆使して、システマティックにオルグしていった。

     そして途中から、少しずつ確実に「洗脳」にシフトして、確実に人間を狂わせていった。

     最初は皆一緒に、室内でビデオを見ていた。次に、ビデオで見ていた「正大師」や「正悟師」と直接会うと、なぜかそれだけでやたらとヒトは心を動かすんですね。

     皆さんも、テレビで見ていた芸能人が目の前にいると、それだけで「あ、あの人だ!」なんて気持ちになりませんか?

     オウムは教祖をそんな具合に持ち上げて、ターゲットの若者たちにおかしな意識を植えつけました。

     次に、段ボール箱の中に入って、修行と称して、様々なビデオを長時間にわたって見せたりしました。

     そんな途中で「マインドコントロール」は「洗脳」に密にシフトしていった。

     カーレースドライバーが亡くなるような恐ろしい場面ばかりを編集したビデオループにしていつまでも視聴させ続け、その直前に薬物を摂取させたりする。

     LSDとかそのようなものを飲まされたうえで、何時間も、そんなものを視聴させられたら、普通の人でもおかしくなります。

     それと、各種の「ワーク」を組み合わせて、確実に若者をがんじがらめにしていった。そういう犯罪に対する免疫は、今の若者の方がはるかに弱くなっているように、私は痛感しています。

    出家という名の拉致監禁

     私の同級生東京大学理学部物理学科~理学系大学院物理学専攻の修士を修了した直後のT君は、最初、全く「出家」などするつもりがありませんでした。

     修士取得後、博士進学が決まっていた彼は、ある日突然、教団の車に乗せられて富士山のふもとにあった教団本部に連れて行かれました。

     そこで教祖から「さあ、出家する時期がやって来た」と決めつけたオルグを受けます。

     最初はそんなつもりが全くなかったのに、なぜか・・・というのは、教団本部に連れて行かれてからは、飲む水も食べるものも、すべてあちら任せですから、物理的にも化学的にも、様々にコントロール、つまり「洗脳」されながら、いつの間にか「出家」せざるを得ないのだ、と完全に意識をコントロールされてしまいました。

     人間ロボットが一通り完成したところで、下宿をたたみに一度東京に戻し、いろいろな小細工も本人にさせた後、「失踪」させてしまいます。

     私の同級生は「瀕死の恋人が松本の病院に入院している。あと半年の命、付き添っていてやりたいので、どうか探さないでくれ」といった意味合いのメモが、コンピューターアカウント内に残されていました。

     教団の指示で、そのようにウソを書けと仕込まれたものです。様々な詳細が気になる方は、私の「さよならサイレントネイビー」などをご参照ください。

     1992年3月に、拉致・監禁と洗脳によって強制的に「出家」させられた私の同級生は、それから丸3年後、本来なら、博士号を取って意気揚々という1995年3月20日に、地下鉄日比谷線の中に、神経性の毒ガスである「サリン」を散布する「実行犯」役をさせられました。

    オウム真理教地下鉄サリン事件

     3月20日、朝8時頃「地下鉄サリン事件」と呼ばれる、無差別殺傷事件が発生しました。

     霞が関駅を通る丸ノ内線日比谷線、ならびに千代田線で、車内に神経性の毒ガスである「サリン」が散布され、13人が即死に近い形で命を落とし、6300人と言われる多数の人が重軽傷を負いました。現在まで後遺症に苦しんでいる人もいると思います。

     事件の経緯ついては、ウィキペディアをはじめとするネット情報も多いので、参考にしていただければと思います。

     また、事件に何かと色をつけて「論評」するようなものは、どうか気をつけて手にするようにしてください。

     淡々とドキュメントを記したものをご参考いただくのが、一番良いと思います。私も、東京大学理学部物理学科の日常生活など、できるだけ客観的に記すように心がけました。

     例えば、作家・村上春樹がまとめたことになっている、実際はデータマンのまとめた資料にあれこれ感想をくっつけた「アンダーグラウンド」というインタビュー集は、手に取り、目にするとしても、かなり冷静に観察されることをお勧めします。

     データマンが手足を使って取ってきた情報、セッティングしたインタビュー結果などを、大衆作家がより多くの読者にヒットするよう、かなりバイアスを加えて色をつけており、私はこうした暴挙を決して許しません。

     生涯二度とこういう人には、原稿など書いてもらいたくないと、一昨年もはっきり記しました。

     私自身、事件から10年目にあたる2005年に、事件風化を恐れて書籍(「さよならサイレント・ネイビー」)を書いた際、他の資料とも突合せ、つぶさに内容を確認して驚き、呆れ、現在に至っています。

     インタビューに答えた人は真摯に話しているでしょう。余計に罪深いと言わざるを得ません。

    帰ってこない日々、命

     私の同級生T君の生前は、決してメディアに記さなかったことを、最後に記しておきます。

     私は1999年秋、すでに東大の人事が決まっていたタイミングで、突然弁護士から電話があり、「接見禁止」の状況にあった同級生と会って話してみてほしいと依頼を受け、東京地方裁判所宛てに「接見禁止解除申請書」を提出しました。

     それから足かけ20年、2018年7月26日の朝まで、小菅の拘置所コンスタントに通い続けました。

     連絡をもらった長崎俊樹弁護士からは、ごく普通に話してもらいたいと言われました。私もそうだろうと思った。あんな中にいたら、ありとあらゆることが異常なはずです。

     私は常に笑顔で接見し、かつてと同じ、理学部物理学科の研究室、学生たちと全く同じ空気、雰囲気で、同じような話を20年間続けました。

     深刻な話をした時期は2回だけでした。

     一つは最高裁で刑が確定する直前。もう会えなくなると覚悟したときは、正味で真剣な話をしました。

     2回目は、突然やって来た2018年7月6日金曜日の第1陣の絞首刑執行後、7月9日月曜日から3週間、1日も欠かすことなく、誰かが話に行けるように日程を整え、私自身も4回接見しましたが、その時は半分ほど、真剣な話をしました。

     でも、残りの半分は、決してそういう話はしなかった。

     私は足かけ20年の間、常に笑顔で、しばしば関西風の冗談を言い、またサイエンスやテクノロジー、詰め将棋から「楔形文字」の解読、私自身が手がけている研究の相談など事件とかけ離れた、また彼が知的に集中できる興味深い話題ばかりを振りました。

     結審するまでは再発防止を念頭に、学生と手紙のやり取りをしてもらい、その経緯を裁判所に証拠提出などもしましたし、自分の研究室の仕事で、数理の確認など、実際に共同研究者として力になってももらったりもしました。

     そして、そうしたことが外に出ることを、本人は非常に気にしていました。

     犠牲者やその家族を考えると、自分がいまここでこうして生きていること自身がおこがましく恥ずかしい。

     「常に反省している、と法廷でも述べているのに、ここでこうやって、暗号理論や量子コンピューター、ビットコインブロックチェーン、機械学習やニューラルネットワークなど2010年代最新の科学や技術の話題にも触れ、それに知的好奇心を覚えている、というようなこと自身、どうか出さないでほしい」と彼は強調し、私は彼の終生、これを守りました。

     ただ唯一、非常に悪質な女性のライターを誤って信用し、当然のごとく約束は破られて雑誌に書かれたことがありました。

     決して信用するなと皆から注意され15年以上決して合わないようにしていたものが、SNSを使って接近してきたのを、信用したのが間違いでした。

     その例外を除いて、彼が拘置所内で詳細な計算などフォローしつつ科学論文を読み、独自の理論的な考察で研究にも貢献している、といったことは、一切出さないようにしました。

     そうすることで、彼の「生きている時間が生きたもの」になるよう、一人の友人として、また一個人として、できることを私は貫いたつもりでした。

     しかし、後から振り返れば、そうやって「正気」に戻れる時間があることで、かえって冷静に、自分のしてしまったことや、いま直面している状況をはっきり認識できていたわけです。

     私が続けたことは、正しいことばかりだったのか、狂ってしまって、わけが分からなくなってしまった方が、ある意味楽だったかもしれない、といったことは、同時期に執行された他のオウム事犯のケースを考えても、いまもって考えないわけではありません。

    約束

     7月6日金曜日に教祖の「麻原彰晃」こと、松本智津夫ら7人の執行があったので、金曜日が危ない、と一日も欠かさず、毎日接見のルーチンを組んでいた私たちは考えていました。

     前後しましたが、接見は1日に1人しか会えないのです。遠隔地から肉親などが来られる日はバッティングしないようにし、また間をあけず、決して一人にしないよう考えました。

     次は7月26日木曜日に来るからと約束していたので、その日も朝一番に小菅の拘置所を目指して移動していましたが、中学高校時代の後輩、N君から「仙台で準備が始まったらしい」とSNSで教えてもらい、これはもうダメだと分かりました。

     それでも、約束は約束です。朝8時半過ぎ、拘置所に赴き、接見を申請し、窓口は一度紙を受け取ってくれましたが、ほどなくして年配の刑務官がやって来て、今日は接見ができませんと告げられました。

     それから10時NHKニュースを見るまで、待合室で時間を過ごしました。その時間帯、非常に近くにいて私は何もすることができなかった。

     11時文学部哲学科での会議が入っていたので、小菅をあとにし本郷に向かいました。

     哲学科では事情を知る同僚諸氏に、本当に配慮していただき支えてもらいました。しかし、私などはしょせんは血縁ではありません。

     親族のショックとは比較にもならない。私はしっかりしている役ですから、事後の手はずを整え、週明けの月曜日、残された品と、彼自身を引き取りに拘置所に向かいました。

     こんな小さな箱ではなく、あの知的で活発な、元気な姿のまま、外に出してやりたかった。

     一個人としての私の、過不足ない思いです。

     そういうことをメディアに書くといろいろ影響が・・・と出版社などには言われます。無責任なメディアの、おかしな書きぶりの記事もたくさんありました。心底軽蔑せざるを得ないものも、非常に多かったと思います。

     生前はいろいろ控えましたが、いまはもうすべて責任は取られてしまった。

     こういうことを、二度と繰り返すべきではない。

     いまや事件は風化して、3月20日にどのような報道があるかも、よく分かりませんが、ここでは、当事者として事件前から執行後の現在まで、34年ほどを実際に共に生きた一個人として、はっきり記しておきたいと思います。

     いまのようなナイーブな若者たちは、1980年代当時よりはるかに容易に、マインドコントロールも洗脳も受けやすい状況にある。

     当時は「ポケットベル」程度しか移動体通信など存在しなかった。現在はスマートフォンでいくらでもメディアマインドコントロールされてしまう。というより、実際にされていると言った方がいいでしょう。

     大勢に流されると、右から左に忖度して、クロもシロになり、長いものに巻かれたり、その結果命を失う人が出たり、冷戦末期や冷戦直後の湾岸世相当時とは比較にならないくらい、おかしな世間になっている。

     正気を保つというのは、意外に難しいことです。

     受け身になりやすいメディアスイッチをいったん切り、書籍を深く読む、あるいは散歩しながら沈思黙考する、鉛筆を手に白いノートの上で、冷静に思考を跡付けてみる・・・。

     古典的でオーソドックスな「正気」の教養に立ち戻り、一過性の付和雷同ではなく、自分の立ち位置を本当に自分の足で踏みしめているか、幾度も確かめてみること。

    「理系エリート」に再び「サリンを撒く」ような行動をとらせてはいけない。

     それは社会の側にも大きな予防の責任があることです。理系である必要もないし、撒くのはサリンとは限らない。悪質な風評だって、同じかそれ以上に人を傷つけ社会を棄損してしまいます。

     少なくとも「理系エリート」(?)がヘイトをまき散らして、所属の研究機関を追われるといったことは、つい最近もあった事実です。深く心を痛めています。

     とりわけ21世紀に生まれたような若い人たちには、自分の頭で考え、自分の心で深く感じた確信をもって、判断、行動してほしいと思います。

     二度と、あのようなことを繰り返さないために、心底から、そう思います。

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    1995年3月20日の東京・日比谷線神谷町駅。地下鉄線内に猛毒のサリンを撒かれてホームに横たわる被害者と救助する人(写真:Kaku Kurita/アフロ)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    manfredrichter/pixabay

     のんびり景色を眺めながらアイスクリームお菓子を食べていると、突然カモメが飛来し、横から食べ物をかっさらって行くという事例は、イギリスの海の近くの街では決して珍しくないようだ。

     今回、イギリスの研究チームが実験でカモメの行動を調査したところ、カモメは人間が手に触れた食べ物を特に好む傾向があることがわかった。人間の食べ物がおいしいことを知ってしまったのだ。

     また、このカモメの学習行為が都市環境での生存力に強く繋がっていることも示唆されている。

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    Seagulls Favor Food That Has Been Handled by Humans

    カモメは人間が手に触れる食べ物に強い興味を示す

     デヴォン州エクセター大学生態保護センターの研究チームは、イギリス南西部に生息するセグロカモメニシンカモメ)が、人間との相互作用にどのように関わっているのかを調べる実験を行った。

     研究者のローラ・ケリー博士は、カモメとのアイコンタクトを避けるためにサングラスをかけた状態で、2つの方法でカモメの行動を実験した。

     まず、バケツに入ったフラップジャック(オーツ麦とバター、砂糖とゴールデンシロップで焼いたイギリスの伝統菓子)の欠片を複数地面に置き、その後バケツの中から取り出したフラップジャックの欠片を20秒間ほど手に持ったままにして、地面へと置いた。

     どちらにどのぐらいの数のカモメが地面のフラップジャックを拾いに来るかを調べたところ、38羽のカモメのうちフラップジャックに食いついたのは24羽で、そのうちケリー博士が20秒ほど触っていたフラップジャックを好んで食べたのは19羽もいた。

     つまり、カモメの79%は人間が手に触れた食べ物に強い興味を示すことが明らかになったのだ。

    スポンジで同様に実験すると…

     カモメは、人間が手に触れた食べ物が地面に落とされると、1分とかからずそこに近付き口にした。

     では、食べ物ではない場合はどうなのか。ケリー博士は、今度はスポンジを同様の1口サイズにして実験を行った。

     するとカモメは、フラップジャックの時と同様同じ数だけスポンジに近付いたが、つつくことはしなかった。

     カモメは、物の区別をする前に物に近付き、より近い距離で物のタイプを区別しているようだ。

     つまりこれは、カモメは食べ物云々に関わらず、人間が一旦触れた物を魅力的に感じて引きつけられる習性があるということを示唆している。

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    wolfgang_vogt/pixabay

    カモメは「人間が食べ物を口にする場所=餌の場所」と認識


     この種の行動は、社会的学習の形を暗示しており、カモメは他の鳥からだけではなく人間の手がかりを持って、それに大きく依存していることを意味している。

     この実験の主導者で動物学者のマデリーン・グーマス博士は、ケリー博士とあわせて次のように述べている。


    今回の実験では、カモメが単に食べ物の光景に惹かれるのか、あるいは人々の行動がカモメの注意を食べ物に引きつけることができるのかを調べたかったのです。

    その結果、人間からの手がかりがカモメにとって餌を見つける方法として重要な役割を果たしていることがわかりました。

    カモメは、魚や無脊椎動物を餌としますが、埋め立て地からの家庭ゴミや人間の食べ物も食べます。それは、「人間が食べ物を口にしている場所=餌の場所」と学習・認識しているからです。

    そのため、人間が手に触れた食べ物や落としたり捨てたりした食べ物に近付く可能性が高いのです。

    カモメに餌を与えると、この関連性がより強化されてしまいます。今回の実験では、食べ物を正しく廃棄することの重要性も同様に示しています。


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    Freiheitsjunkie/pixabay

    カモメの学習行動が都市環境での個体数増加に関連


     グーマス博士の過去の研究では、カモメは間違いなく人間の手がかりを読み取り、アイコンタクトも可能であることが判明している。

     同博士によると、犬のような飼いならされたペットの場合は、人間から同様のシグナルを受け取ることが過去の研究で明らかになっているが、カモメを含む野生生物においてはこれまで明確になっていなかったそうだ。

     しかし、カモメのこの学習行動が都市環境での強い生存性と関連しているという。

     事実、英国内でのセグロカモメの数は減少しているにも関わらず、都市部での個体数は増加している。

     過去に餌を与えられたカモメが、人間のいる場所を餌のある場所と素早く認識し、人間が手にした食べ物に強い興味を示すと同時に、その食べ物を奪い、都市環境での繁殖を増加させている可能性があると研究者らは示唆しているのだ。

     ちなみに、イギリス鳥類保護協会のトニーホワイトヘッド氏は、今回の実験結果について次のような見解を述べた。


    とても興味深い。カモメは実に観察力があると感心させられます。ただ、これは他の鳥にも言えることですが、一旦餌を与えられるとその行為に慣れてしまいます。

    鳥は、与えられるものとそこにあるものの区別がつきませんから、人間が持っている食べ物に強い興味を示すようになったカモメの行為は、過去に人間が餌を与えたという事実が関連していると言えるでしょう。

    食べ物を横から奪い去るカモメの行為は、一般的には人から嫌われるので、餌を与えることを人間が止めれば、最終的にカモメイメージも改善されるかもしれません。


     人間と野生生物の相互作用については、まだまだ多くの研究が行われている。なお今回の研究報告は、情報誌『Royal Society Open Science』に掲載された。

    References:sciencealert.comなど / written by Scarlet / edited by parumo

    全文をカラパイアで読む:
    http://karapaia.com/archives/52289091.html
     

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    (出典 news.nicovideo.jp)


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    024-657-834/pixabay

     空飛ぶ円盤が世界で最初に目撃されたとされる1947年以降、実に多くの種類のUFOに遭遇したという報告が挙げられている。

     中には、実際にUFOに誘拐されたと主張する人や、UFOの着地を見たという人もおり、昔も今も、その存在は謎のままだ。

     だがUFOの中には、人間の目には見えないタイプのものもあるらしい。レーダーにはしっかりとらえられているのに、肉眼で確認しようとしても、人間の目では確認することができないというものだ。

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    目には見えないUFOが存在する!?

     通常、「UFO目撃」「UFOに遭遇」となると、実際に目に見えたものの報告が多い。地上レーダー未確認飛行物体が確認された時も、同時に空に確認追跡のパイロットがその物体を目撃していれば、UFOの存在についてまだいくらか説得力があるというものだ。

     しかし、UFOレーダーでのみ観測される事例については、視覚的には全く証拠がないために、ますますミステリーであり、まるで一部のUFOが人間の目から故意に姿を消す特殊な能力を持っているかのようにさえ思えてしまう。

     実際にそんなケースイギリスで過去に起こったのだ。では、その3件の例を見ていこう。

    1.1949年8月の観測例

     故J.R.オリバーという人物の報告書によると、1949年8月、イギリス空軍は最新の防空攻撃に対してブルドッグ作戦という戦略を試みている最中に、不思議な物体がレーダー上に姿を現したという。

     当時、レーダー防衛チェーンは、イギリス南西部コーンウォール州ランズエンドから南海岸に沿ってスコットランドの北まで伸びており、海面からの高度約10万フィート(約30480メートル)を観測していた。

     レーダー防衛の監視の目を抜けて何かが飛行するなどということはほとんど不可能な状態だったにも関わらず、奇妙な物体がレーダー上に観測された。

     その物体は、南海岸とほぼ平行に西から東へと飛んでいたそうだ。

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     その後、物体は南東部ケント州の端の地点に到達すると突然北へと進路を変え、テムズ川の河口に近付いた。

     しかしその時、レーダーエリア内で衝突が起こり、レーダー範囲から消えてしまったが、プロット間の時間と距離から物体の速度を評価することができた。

     その結果、物体は高度5万フィート(約15240メートル)近くを時速約4800kmに近い速度で飛行していたことが発覚した。

     また、サイズに関してはレーダー操作の経験豊かな要員によると、15000または20000トンほどの大型旅客船もしくは貨物船と同様であることが報告されたという。

     大型の飛行物体はその後再びレーダー内に現れたが、イースト・ライディング・オブ・ヨークシャーのベンプトン基地に近付くと、突如物体は速度を上げ、高度10万フィートの地点で画面外に消え、上に飛行して行ったことがわかった。

     いくつかの軍事基地のレーダー管理者は、この謎の巨大飛行物体について注意深い追跡を試みたが、結局このUFOは目に見えることなく、レーダー観測上のみの遭遇となった。

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    olafpictures/pixabay

    2.1952年9月の観測例


     ウィリアム・マグワイアという男性の報告によると、1952年9月、イギリス空軍でレーダー管理部に勤務していた彼は、ケントサンドウィッチ基地UFOに遭遇したという。

     メカニックとして働いていたマグワイアさんは、レーダー上にミステリアスな物体が出現したことについて、上司から「測定値を適切に調整しなかった」という非難を受けた。

     しかし、それはマグワイアさんたちメカニックのミスではなかった。レーダー上に、軍艦と同等の質量を持つ巨大な物体が信じられないほど上空に観測されたのだ。

     結局、この事例も軍機によって追跡が試みられたものの、視覚的に検出されることはなかったそうだ。

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    Free-Photos/pixabay

    3.1957年3月の観測例


     ウエスト・ミッドランズのウォリックシャー州にあるローフォード教会基地から異常な物体の目撃報告がなされたのは、1957年3月26日のこと。

     レーダー上には、その物体が時速2253km以上のスピードで移動している様子が観測された。

     静止状態から突然この速さで動いた物体の説明は、当時も今もはっきりとわかっていないが、実際に空には何も現れておらず、レーダー上のみのUFO遭遇例として取り扱われている。

    References:Mysterious Universeなど / written by Scarlet / edited by parumo

    全文をカラパイアで読む:
    http://karapaia.com/archives/52289017.html
     

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    人間の目には見えないUFOが存在する?レーダーにとらえられた3件のUFO遭遇事案(イギリス)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    松井一郎大阪市長らによる大阪・兵庫往来自粛呼びかけを受けた元内閣府防災担当企画官の後藤隆昭さんの大喜利ツイートが話題になっている。

    3月20日、後藤さんは自身のTwitterを更新し

    「皆さんには都道府県知事になってもらいます。まず、「〜県との県境を封鎖します。」と言ってください。私が「どうしたっていうんだい?」と聞きますから、そこで何か一言言ってください。はい円楽さん早かった。」

    と波紋を広げた松井市長の呼びかけをもじって大喜利ツイートを投稿。

    https://twitter.com/ryu_/status/1240898441342926849?s=19

    なんとも気の利いた後藤さんの出題に対してTwitter上では数々のネタが寄せられている。

    愛知県知事です。岐阜県との県境を封鎖します。

    それで、どうなりました?

    ここで終わり(尾張)です。」

    埼玉県との県境を封鎖します

    どうしたっていうんだい?

    あ、もうされてた」

    東京都神奈川県千葉県埼玉県との県境を封鎖します

    どうしたってんだい?

    公約で満員電車をゼロにするんですよ」

    東京都神奈川県の県境を封鎖します

    どうしたっていうんだい?

    町田市に、東京か神奈川か、本当はどっちがいいのか選んでもらおうと思って」

    茨城県知事です。埼玉県との県境を封鎖します。

    で、どうなりました?

    茨城と埼玉が接していることを知っている人がほとんどいないので、何の影響もありませんでした。」

    大阪と兵庫のみならず都道府県間にはなんらかのわだかまりはあるものだが、為政者があえてそれに火を注ぐような行為をするのはいかがなものか。松井市長があのような発言をする前に兵庫県側とコンタクトを取ってさえいれば余計な混乱や軋轢は生まれず、本来の感染拡大防止の意図が正しく伝わったはずなのにと残念に思う。

    【関連記事】「松井一郎大阪市長らによる大阪・兵庫往来自粛呼びかけに波紋! 井戸敏三兵庫県知事は「大阪はいつも大げさ」と冷笑」(リンク)

    ※画像はTwitter(@ryu_)から引用しました

    (執筆者: 中将タカノリ)

    ―― 会いたい人に会いに行こう、見たいものを見に行こう『ガジェット通信(GetNews)』
    「〜県との県境を封鎖します。」 往来自粛大喜利が話題に


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    太平洋戦争に敗戦した日本は、残っていた戦闘艦艇のほとんどをアメリカやソ連などに引き渡しましたが、そののち発足した海上自衛隊に旧日本海軍駆逐艦が1隻だけ再就役しました。どのような経緯で護衛艦に転身できたのでしょうか。

    瀬戸内海で沈没した駆逐艦を戦後再利用

    海上自衛隊太平洋戦争後に発足し、旧日本海軍の文化や伝統の一部を継承している組織ですが、護衛艦についても一隻だけ旧日本海軍の中古を使ったことがあります。それが、1950年代後半から1970年代初頭にかけて用いられた「わかば」です。

    護衛艦わかば」の前身は、旧日本海軍駆逐艦「梨」です。この艦は太平洋戦争中、大量に建造された松型駆逐艦のひとつで、艦の大きさは全長100m、基準排水量1350トン、満載排水量1580トン、主兵装として12.7cm高角砲(高射砲)を単装と連装各1基計3門、4連装魚雷発射管1基、対潜水艦用の爆雷投射機2基、爆雷投下軌道(レール)2条などを装備していました。

    「梨」は1945(昭和20)年3月15日に竣工したものの、太平洋戦争はすでに最終局面を迎えつつあり、もはや動かす燃料にも事欠く状況でした。やがて終戦直前の7月28日瀬戸内海にある山口県の平郡島沖合にて停泊中、「梨」はアメリカ海軍の艦載機による攻撃を受けて転覆沈没しました。

    本来ならここで艦歴はピリオドを打ちます。実際、沈没したのち除籍もされています。しかし、「梨」の歴史の歯車は止まりませんでした。沈没地点の水深が浅かったため、民間企業がくず鉄として「梨」を流用しようと、1954(昭和29)年に引き揚げたのです。

    沈没艦の再使用 整備で苦労し国会でも追及

    駆逐艦「梨」は沈没から約9年経っていましたが、状態は良好だったため、防衛庁(現在の防衛省)が引き取ることを表明、翌年の1955(昭和30)5月から広島県呉市の造船所で復旧工事を実施しました。こうして1956(昭和31)年5月31日、警備艦(後に護衛艦に改称)「わかば」と命名されて、発足間もない海上自衛隊に再就役しました。

    ただし「わかば」は、引き揚げ時の状態がよかったといえ約9年も海水に浸っていたので不具合が多く、蒸気タービンやボイラーなどの機関部は整備してもすさまじい雑音が消えることはなかったそうです。

    また「わかば」として復旧させるにあたり、引き揚げた民間企業に対して、くず鉄としては高値である約9億円を支払いました。これは2020年現在の価格に換算すると約18億6300万円です(日本銀行調査統計局「企業物価指数」を基に算出)。またそれとは別に沈没地点の漁業協同組合に対して約160万円、こちらも現在の価格に換算すると約331万円(同)を、それぞれ税金から拠出し、そのことが国会で問題視されました。

    しかも「わかば」として再就役した1956(昭和31)年当時、すでに戦後に設計建造された国産護衛艦が就役し始めており、さらなる新型護衛艦の建造も計画されるなかで、あえて沈没艦を再使用する意義も問われました。

    新装備のテストベッドとして海自に貢献

    それでも1957(昭和32)年には改装され、各種武装やレーダーなどを搭載、護衛艦としての本格運用が始まります。1960(昭和35)年には海上自衛隊艦艇として唯一、アメリカ軍供与の遠距離目標の高度がわかる大型レーダー(高角測定レーダー)を装備し、海上自衛隊レーダー運用能力の向上に貢献しました。

    これ以降、新装備のテストベッドとなる実験艦的な任務が多くなり、1963(昭和38)年4月には護衛艦にまつわる各種の試験を担当する実用実験隊(当時)へ編入されて、各種テストに専念することになります。

    こうして護衛艦わかば」は再就役から約15年間、駆逐艦「梨」の艦歴よりも大幅に長く運用され、1971(昭和46)年3月31日に再除籍されました。ちなみに真偽の程はわかりませんが、「わかば」は沈没艦を引き上げて再就役させたということで、幽霊騒ぎもあったそうです。

    駆逐艦「梨」から自衛艦わかば」への転身は、終戦直前の沈没がなければあり得なかったことです。沈没は多数の犠牲を出した悲しいできごとですが、沈没しなかったほかの戦闘艦艇が、終戦後に賠償艦として他国に引き渡されて、~艦によっては原爆実験などに用いられたことを鑑みると、引き揚げられて再び就役した「わかば」は強運だったのかもしれません。

    木造艇などを除くと、旧日本海軍の戦闘艦艇で唯一、海上自衛隊に再就役した護衛艦「わかば」(画像:海上自衛隊)。


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    ジャーナリスト:吉村剛史)

    JBpressですべての写真や図表を見る

     中国湖北省武漢市に端を発した新型コロナウイルス感染症がパンデミック(世界的な大流行)を引き起こすなか、朝日新聞アジア総局(バンコク)駐在の女性編集委員が「取材のため」として、入境制限が強化されている台湾に3月18日、駆け込み、検疫のための隔離生活をSNS上に日記形式で公開したところ、「面白半分のウキウキ隔離日記」と在台邦人らの批判が噴出し、「炎上」する騒ぎに発展している。

     要隔離者への地元自治体からの支援物資を「プレゼント」と表現し、隔離先ホテル選びでは「せっかくなので台湾海峡の金門島は?」などと休暇旅行のようにつづった文章に、「ピクニック感覚」「防疫に必死の台湾に多大な迷惑をかけていることがわかっていない」「日本人として恥ずかしい」と集中砲火状態だ。朝日新聞社では13日にも別の編集委員がツイッター上で新型ウイルスを「痛快な存在」と表現し、同社広報が謝罪するなど、心ない執筆陣の筆禍が相次いでいる。

    「隔離」前提で台湾入りし、SNSに「隔離日記」アップ

    「隔離日記」はフェイスブック上の「The Asahi Shimbun Asia & Pacific 朝日新聞アジア太平洋」で公開。執筆したのは朝日新聞の吉岡桂子編集委員で、1989(平成元)年入社、上海、北京特派員などを歴任し、2017年からタイ・バンコクに駐在しているというベテランだ。

     台湾の衛生福利部(日本の厚生労働省に相当)は3月17日、日本やタイなどの感染症危険情報を19日付でレベル3の渡航中止勧告に引き上げると発表。入境者の14日間の隔離措置は発表直後の同日午後4時(日本時間午後5時)から発効した。海外から台湾に戻った人の新型ウイルス感染、発症が相次いだことを受けた措置だ。

    「隔離日記」によると、4月に台湾で防疫関連の取材を予定していたという吉岡編集委員は、3月19日以降、日本人に対する90日間の訪台ビザ免除も当面停止となることを受け、「(3月)18日はビザ免除の恩恵があるはずの最後の1日。この日を逃すとドアはいつ開くか、わからない。到着後に14日間『隔離』されるとしても。」と、あわてて荷造りしてバンコクを出発。隔離生活を前提で台北郊外に位置する台湾桃園国際空港から駆け込み入境したことを公表。

     果たして入境後は自宅やホテルなどの滞在先から14日間、外出が禁止される「居家(在宅)検疫」の対象になったことから、空港で担当官から紹介された3食付きで日本円1万円弱の桃園市内ホテルに滞在したいきさつなどを紹介。ホテルで桃園市が隔離者に用意したマスク14枚や栄養食品などの支援物資を受け取った体験については「大きな桃色の袋がプレゼントとして届き、びっくり」と表現し、隔離生活の手引書と一緒にマスク、食料品などの写真も公開している。

    「自己満足の迷惑旅日記」などの批判続出

     また当初、検疫期間中の滞在先について自弁で手配する制度を知らず、要隔離者を受け入れている各地の「防疫旅館」のリストからホテルを探す際は、「懐かしい台湾『非情城市』(※ママ=正しくは『悲情城市』)の舞台にもなった基隆の再訪も考えましたがこちらも満室」「せっかくなので台湾海峡の金門島は?」(後に表現を修正)などと、レジャー気分で滞在先を探すような軽い文章となっていた。

     しかし、検疫期間中は、毎日の検温や、健康記録などが義務付けられており、当局などが電話で滞在確認をするなど、人手もかかる。この「日記」をはじめ、日々の食事の写真紹介や「あつあつの麺、美味しそうですね!」「お弁当も台湾らしいメニューです」などとコメントしている編集委員の危機感のないツイッターを見た在台邦人を中心に、「あまりにひどい内容」と批判が噴出。

     フェイスブックコメント欄では「取材のためだか何だか知りませんが結局自己都合でしょう」「このタイミングで台湾に来るのは台湾に迷惑を掛けることになるとは思わないのですか」「台湾の税金を使っての、台湾へのリスクの持ち込み」などの書き込みが・・・。

     また隔離用のホテルも不足していることから「あなたが台湾に来たことで、防疫のための人、金、時間資源がどれだけあなたのために消費されているか、想像できますか」「あなたの部屋は(海外から退去してきた台湾人など)本当に必要な人のためにつかえたかもしれません」。

     そして4月の取材予定という不要不急の入境理由には、「取材先が違うのではないですか?中国に行って武漢肺炎の真実を読者に伝えてください」「朝日新聞台北支局って無人ではないですよね?」「自己満足でしかない迷惑旅日記」。

     さらに「不謹慎極まりない行為に驚きと怒りを覚えました」「日本人として台湾に申し訳なく思います」「こんな日本人がいるということが心から恥ずかしい」「人間として失格」——などと罵倒に近い言葉までが並んでいる。

    台北支局もあるのになぜ

     これほどにまで炎上した理由について、長く台湾で暮らしている50代の邦人男性らは、「私たち在台邦人が、防疫に必死の台湾の皆さんにどれほど気をつかっているか、少しは考えてほしい。台湾には日本語がわかる人も多いのに、こんな恥さらしな日記を公開するなんて」と憤る。

     今回の新型ウイルス騒動では、台湾が早期に中国からの入境を制限するなど厳しい防疫姿勢を示したのに対し、中国の習近平国家主席国賓訪日が目前だった日本では、安易な楽観論に立って初動に出遅れが目立った。

     台湾は2011年東日本大震災発生当時、世界最多の約200億円もの義援金を被災地に寄せたことからもわかるように、元来が親日感情の強い場所。歴史的に関わりの深い日本をさまざまな面で「進んだ国」とみる憧れなどが下敷きになっているが、今回の日本の危機感のない防疫対応を目の当たりにして、日本への心配だけでなく、失望感までもが漂い始めている。

     この邦人男性らは「あれほど日本人に親切だったのに、エレベーター内やタクシー利用時などは、露骨に日本人を警戒するようなそぶりがみられ、在台邦人はただでさえ肩身が狭い時期。マスクなども無駄に消費しないよう気づかっている」と解説。「そもそも朝日新聞は自社の台北支局が存在し、居留証を持った支局長も駐在している。わざわざこの微妙な時期にバンコク駐在の編集委員が4月の取材予定のために滑り込みで入境する意味がわからない。台湾の皆さんが週末に薬局で行列して入手しているような、貴重なマスクが14枚も入った支援物資を『プレゼント』と表現してこれ見よがしに公開する神経も信じがたい」「限られた状況の中で一生懸命防疫に尽くしている台湾の人々を侮辱している。台湾人にとっても、台湾で遠慮がちに暮らす日本人にとっても、迷惑で不愉快」と吐き捨てる。

     朝日新聞では3月13日、同社の小滝ちひろ編集委員がツイッター上で新型コロナウイルスについて「戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄(おのの)く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」などと投稿し、「死者や重篤者が続出し、世界経済が大打撃を受ける中、不謹慎だ」との批判が殺到。その後本人が突然アカウントごと削除し、同社広報はツイッターアカウントを通じて「(ツイッターの投稿は)報道姿勢と相いれない行為」と説明。また広報は14日、「『痛快』という表現は著しく不適切」「感染した方をはじめ多くの皆さまに不快な思いをさせた」と、謝罪している。

     しかし、今回噴出した批判の声のひとつに対し、フェイスブック上の「朝日新聞アジア太平洋」は「ごらんくださり、ありがとうございます。4月にどうしてもこの時期にお伝えしたい取材の予定がありす(*ママ)ので、なんとか入りたいと考えて参りました。台湾の防疫対策をより理解し、また読者の方にも伝えたいと考えてFBも始めました。日本で必ず参考になる面も多々あると考えたからです。(略)2回目以降、そして4月の記事もぜひよろしくお願いします」と開き直るかのように明言している。

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    3月14日、台湾の新北市で、防護服に身を包み、路上に消毒剤を噴霧する台湾軍兵士(写真:AP/アフロ)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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