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    2019年06月

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    2019年6月28日に大阪で開幕する主要20か国・地域(G20)首脳会議では、韓国大法院(最高裁)が日本企業に対して元徴用工らへの賠償を命じる判決を下した問題が尾を引き、日韓首脳会談は見送られる見通しだ。

    だが、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は通信社7社(AP、AFP、ロイター、新華社、共同、聯合、タス)による書面インタビューへの回答(6月26日付)で、韓国政府による提案は「現実的」だとした上で、「私はいつでも対話の扉を開いている」として、首脳会談が実現しない原因は日本側にあるとの主張を展開した。両国の主張はすれ違いが続いており、普段は抑制的な報道が多いNHKですら、「日本側に責任を転嫁」していると指摘するほど、日本側のいら立ちは高まっている。

    日本が拒否した案を「現実的な解決策」と主張

    青瓦台(大統領府)の発表によると、文氏は徴用工問題について

    「韓日関係の発展のために過去の問題を国内政治に利用してはならない。過去の問題は、韓国政府が作り出しているのではなく、過去に存在していた不幸な歴史のために生じたものだ」

    と主張。

    この問題をめぐっては、韓国外務省6月19日、韓国企業と被告となった日本企業が資金を拠出して元徴用工に賠償することに日本側が応じれば、日韓請求権協定に基づく協議に応じるという案を提案。日本政府は直後に「この問題の解決策にはならない」と拒否していた。だが、文氏はこの提案について

    「現実的な解決策を用意して、日本政府に伝えた」
    「当事者間の和解が行われるようにしながら、韓日関係も一歩進ませる措置」

    などと表現し、首脳会談について

    「私はいつでも対話の扉を開いている。G20の機会を活用することができるかどうかは、日本にかかっている」

    とした。

    NHK「韓国国内の批判をかわすねらいがあるとみられます」

    日本政府は、日韓請求権協定に基づく「政府間協議」に韓国側が応じないことを問題視。第三国を交えた仲裁委員会の設置を韓国政府に要請していた。協定では韓国が6月18日までに仲裁委員会の委員を任命する義務を負っていたが韓国は応じなかったため、日本側は19日、委員3人の選任を第三国に委ねる協定上の次の手続きに移行することを韓国政府に通告していた。文氏の回答では、こういった経緯には触れず、日本側に拒否された提案の正当性を一方的に主張する内容になっている。

    まったく議論はすれ違っている状態で、NHKは26日夕方、文氏の書面インタビューの内容を報じる記事をウェブサイトに掲載。その中で、

    「日本側に責任を転嫁することで、首脳対話の糸口すら見いだせていないとする韓国国内の批判をかわすねらいがあるとみられます」

    と論評した。

    河野外相「韓国側の認識は、事態の重要性を全く分かっていない」

    東亜日報によると、河野太郎外相は6月24日付の同紙に対する書面インタビューに対して、

    「(日韓)双方が外交的な解決策を見出し、双方が知恵を絞り出そうという韓国側の認識は、事態の重要性を全く分かっていない」

    と答えている。こういった危機感を韓国側が共有していないことが、文氏の書面インタビューで改めて浮き彫りになったと言えそうだ。

    これは韓国メディアも同様で、聯合ニュース

    「韓国側は首脳会談の準備ができているが、日本はそうではないようだ」

    とする青瓦台関係者の声を紹介。

    「日本の参院選が終われば、政治的に負担が軽減される分だけ安倍晋三首相が対話に応じる可能性がある、という分析も出ている」

    といった楽観的な見通しを伝えている。

    J-CASTニュース編集部 工藤博司)

    文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「私はいつでも対話の扉を開いている」と主張している(写真は大統領府の動画から)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    【日韓会談見送りで文大統領「逆ギレ」 NHKは「責任転嫁」と論評】の続きを読む

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    高橋真麻

    フリーアナウンサー高橋真麻が25日に『バイキング』(フジテレビ系)に出演。闇営業で謹慎処分になった芸人らについてのコメントが物議を醸したことについて語った。

     

    ■「運が悪かった」発言が物議

    しらべぇでも既報のとおり、同日放送の『スッキリ』(日本テレビ系)で闇営業で吉本所属芸人らが謹慎処分になった問題を特集した。

    その中で、真麻は「私は同業なので一般の方とちょっと意見が違うかもしれない」と前置きした上で、「営業行ってる中にたまたま反社会的勢力があって、運が悪かったんだなあ」と芸人らを擁護するかのようなコメントをする。

    この発言に対して、ネット上では「闇で行ってるんだからその時点で運もなんもないでしょ」「身内に甘すぎる」といった批判の声があがった。

     

    ■「ネットで叩かれて…」

    その後『バイキング』に出演した真麻は、ネットで批判されたことについて言及。

    ネットで叩かれて。『同業者に甘い』と。『どういうつもりでそのお金をもらったんだ』と。そのお金が結果的に詐欺グループだったってことは『詐欺に遭った人たちの事を考えろ』」と批判されたとし、「かなり厳しい世間の反応でした」と振り返る。

    この発言に、MCの坂上忍は「あ、それを今、素直にここで言ってくださったってことですね」とコメントした。


    ■ネットの反応は…

    バイキング』での発言を受け、ネット上ではさまざまな声が。中には、批判的な意見もみられた。

    「自分が叩かれたことに納得いかない感がひしひしと伝わる」

     

    「真麻さん、ネットの意見が厳しいんじゃなくてあなた方が身内に甘いんだよ」

     

    一方で、「真麻さん素晴らしいツイッターが世間の声とは言わないが、多くのサイレントマジョリティが思ってる」「反省してこのあとに生かしてください」と応援の声も寄せられている。

     

    ■芸能人の常識を疑った経験は…

    「運が悪かった」という発言について、「一般の方とちょっと意見が違うかもしれない」と発言していた真麻。どこかで一般常識とは考え方だと自覚している部分はあったのかもしれない。

    しらべぇ編集部が全国20〜60代の男女1,537名に「芸能人の発言や行動」についてどう思うか意識調査を実施したところ、約7割が「『常識がないな』と思うことがある」と回答している。

    世間から批判を浴びている宮迫博之たちだが、同業者として真麻もフォローしたかった部分があったのかもしれない。

    ・合わせて読みたい→キートン、「芸人が闇営業してしまう事情」を吐露 発言に賛否の声

    (文/しらべぇ編集部・二宮 新一

    【調査概要】 方法:インターネットリサーチ「Qzoo」 調査期間:2018年10月19日2018年10月22日
    対象:全国20代~60代の男女1,537名 (有効回答数)

    高橋真麻、闇営業芸人への「運が悪かった」発言が物議 「ネットで叩かれて…」


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    布団販売などを手がける「丸八ホールディングス」(横浜市)の子会社偽装請負を行い、多額の経費負担を長期にわたり押し付けてきたとして、元従業員16人が6月25日、同社などを相手取り、1億7800万円あまりの損害賠償を求める訴えをさいたま地裁に起こした。

    業務委託のはずが、指示・命令を受けながら営業

    訴状などによると、子会社は「ハッチーニ丸八」。原告16人は当初、ハッチーニ丸八で正社員として働いていたが、期待される売上水準に届かないことなどを理由に、「給料泥棒」「売れない社員はぶら下がり社員だ」などと叱責され、業務委託契約への切り替えを事実上、強いられた。

    切り替えは1990年2009年にかけて行われたが、その際に不利益な労働条件への変更であることの説明は十分なかったとしている。

    切り替え後は、車両燃料費や車検費、営業出張費などの経費が自己負担となる一方で、本来なら独立した事業主(代理店)として裁量ある働き方ができるはずだった。ところが経費は自己負担なのに、渡された携帯端末などを通じて詳細な業務指示を受けていたという。

    具体的には、(1)商品の販売価格は指示され自由に決められない(2)正社員と同様に朝礼に参加しなければいけない(3)午後5時までに営業時間を終わらせないよう指示が出ていた(4)営業現場への直行・直帰が認められない(5)出張販売などへの参加が義務ーーなどだった。

    原告側は「詳細な業務上の指示・命令を受けながら営業活動をしてきたのであり、いわゆる『偽装請負』にあたり、原告が実質的に労働基準法上の労働者にあたることは明白だ」と主張している。

    フルタイム勤務で月給5万円に満たないことも

    提訴後に原告らがさいたま市内で開いた会見では、原告のひとりが、経費負担による生活苦を訴えた。

    手取りがゼロだったり、月の売り上げが経費を下回るマイナス状態になることもあるという。例えば、フルタイムで週5〜6日働くある原告の場合、2018年11月から2019年4月までの6カ月間の賃金が、計28万2273円にとどまった。月給換算で4万7045円となった。

    原告側は「ハッチーニ丸八から負担させられた経費を差し引かれてきわめて低廉な賃金しか支給されず、基本給もなく、月々の賃金額が変動しゼロとなる月もある」と指摘し、「生活費や子どもの教育費などをまかなうため、借金せざるを得ないなど厳しい経済状態に追い込まれている」とした。

    また原告は同日、訴訟提起と並行して、埼玉県労働委員会に対して団交命令などの獲得を求める救済申立も行ったという。

    丸八HD「コメントできない」

    丸八ホールディングスの担当者は取材に対し、「内容を把握していないのでコメントはできません」と話した。

    「給料泥棒」と呼ばれ、正社員から業務委託へ 生活苦の労働者「偽装請負」で提訴


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    住宅の購入は、人生の中でも大きな買い物。だからこそ親しい人の新築祝いには、気持ちが伝わるお祝いの品を贈りたいものです。

    …しかし!!

    ちょっとした行き違いから、お祝いの品が笑いを誘う品に変わってしまった人がいました。Base△(@bazetalk)さんが投稿したエピソードが話題です。

    姉の新築祝いにケーキを購入

    姉家族の新築祝いに、現金とはまた別にホールケーキを贈ろうと考えた投稿者さん。

    店員からプレートに記入するメッセージを聞かれたものの、いい言葉が思いつきません。

    確かに、ホールケーキというと誕生日など記念日に用意される場合が多いもの。プレートに描かれているメッセージも「お誕生日おめでとう」や「いつもありがとう」といったものをよく見ます。

    しかし、今回は新築祝い用のホールケーキ…。

    結局、適当なメッセージも思いつかず「とりあえずおめでとう』でお願いします!」と伝えたところ、出てきたものがコチラです。

    違う、そうじゃない

    余計なひと言が追加されているため、ケンカを売っているかのようなプレートになってしまいました…。店員さんも、なぜ確認してくれなかったのでしょうか。

    行き違いで生まれたプレートですが、ネット上では爆笑の嵐!「笑った」「土産話になったのでは?」といったコメントが寄せられています。

    お祝いの気持ちがちゃんと伝わっているかは不明ですが、お姉さん家族の家に明るい『笑い』は届けられたはずです!


    [文・構成/grape編集部]

    出典
    @bazetalk


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    2019年6月24日に、大手芸能プロダクション吉本興業ワタナベエンターテインメントに所属するお笑いタレントの計13名が『闇営業』をしていたことが発覚しました。

    該当する13名は、数年前に振り込め詐欺を生業とする反社会的勢力の会合に事務所を通さず参加し、一定数の金銭を受け取っていたとのことです。

    問題の会合で仲介役を務めたとされる、お笑いコンビカラテカ』の入江慎也さんは、所属事務所の契約を解消されました。

    そのほか、お笑いコンビ雨上がり決死隊』の宮迫博之さんや、『ロンドンブーツ1号2号』の田村亮さんをはじめ、関与していたとされるすべてのお笑いタレントが謹慎処分となっています。

    吉本『闇営業』騒動で11人が謹慎処分に 【宮迫、田村ら11人の謝罪全文】

    千原ジュニア「先輩としていかがなものかなと」

    同月25日に放送された情報番組『ビビット』(TBS系)では、闇営業に関する報道について特集。

    番組に出演していたお笑いコンビ千原兄弟』の千原ジュニアさんは、事務所の謹慎処分という決断を「妥当である」としたうえで、次のような自身の考えを明かしました。

    あの、入江が解雇というのは、もちろん反社会勢力と数多くの芸人をつなげたということで、当然だと思います。

    それで、でも一方で、1人の芸人が、まあ自業自得ですけども、(お笑い芸人として)死んだわけですよ。それで、その時に先輩である2人が、僕はまず矢面に立って、まずその時に、質疑応答込みの記者会見を開くべきだったんじゃないかなと。

    1人の芸人が死んでいるところで、Twitterでとかラジオでとか一方的に(釈明する)というのは、先輩後輩という形からして、先輩としていかがなものかなと。

    ビビット ーより引用

    ジュニアさんが指摘した2人とは、宮迫さんと田村さんのこと。2人は今回の騒動について、それぞれ自身のTwitterラジオ番組を通して「相手が反社会的勢力だとは知らなかった」「金銭は受け取っていない」といった釈明をしていました。

    視聴者からは、ジュニアさんの発言に対し、さまざまな意見が上がっています。

    ジュニアさんの考えには、納得しかない。

    ・「公の場で会見をするべきだった」という発言からは、強い憤りや歯がゆさが感じられる。

    ・所属事務所が一緒でありながらも、客観的な視点から意見をいっていて好感が持てた。

    今回の騒動について、厳しい指摘を口にしたジュニアさん。普段から上下関係を大切にしているジュニアさんだからこそ、同じお笑いタレントとして、彼らが取った行動に憤りを感じずにはいられなかったのでしょう。


    [文・構成/grape編集部]

    出典
    ビビット@karatekairie


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    女性の半数「やせることに強迫観念がある」

    ビッグローブ6月26日「ダイエットに関する意識調査」の結果を発表した。調査は今年5月にネット上で実施し、スマホを所有する20~60代の男女1000人から回答を得た。

    「やせたい」という他人を見て、「やせなくてもいいのでは」と思ったことがある人は「よくある」(28.9%)と「たまにある」(48.4%)の合計が77.3%。男女別にみると、「よくある」と回答した男性は19%なのに対し、女性は38.8%となった。

    「やせなければならない」 女性は30代で4割に減少するものの、40代で再び6割に

    性年代別にみると、20代女性は「よくある」が46%。一方、20代男性は17%と、男女間で2倍以上の差がみられる。また、女性は「よくある」が50代(44%)、40代(43%)で高く、幅広い年代で、ダイエット希望者に「やせなくていいのではないか」と感じているようだ。

    初めてやせたいと思った年齢を聞くと、最多は「15歳~19歳」(19.6%)。次いで、「20歳~25歳」(17.4%)、「15歳未満」(14.3%)と続く。男女別に見ると、男性は19歳までにやせたいと思った人が18.2%なのに対し、女性は49.6%。女性は比較的若い年代で思うのに対し、男性は「40歳~42歳で初めてやせたいと思った」が10.2%いる。

    ダイエットややせることに「強迫観念がある」と回答した人は合計45.4%にのぼった。男女別に見ると、男性が40.8%、女性は50%が強迫観念を抱いている。

    女性は、20代が63%と高いが、30代で41%まで減少。しかし、また40代で62%まで上昇している。40代で再び「やせなければならない」という意識が高まってくる傾向があると分かった。




    (出典 news.nicovideo.jp)


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    代替テキスト

    太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。

    その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の’89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。

    《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》

    戦争体験を語っているのは、資料館の前館長で学徒隊の生き残りの一人、島袋淑子さん(91)。

    現在、自らの体験を語る“証言員(戦争体験者の語り手。資料館では戦後生まれの語り手のことは説明員という)”は6人しかいない。全員が90歳を超えている。

    ’18年までの7年間、資料館の館長を務め、自らの戦争体験を語ることで、戦争を知らない世代に平和のバトンをつないできた。

    この日も、島袋さんの74年前の悲惨な光景が目に浮かぶような語りに、平和学習のため資料館を訪れた宮古島市立下地小学校の児童は、ぐんぐん引き込まれていった。

    島袋さんは1928年(昭和3年)、沖縄県北部の本部町伊豆味に生まれる。両親の愛情を一身に受けて育った島袋さんの将来の夢は、学校の先生になることだった。島袋さんは勉強に励み、沖縄師範学校女子部に合格。太平洋戦争が勃発した翌年の’42年(昭和17年)4月、14歳で晴れて師範学校の女学生となる。

    「憧れていたテニス部に入部したけど、1年生は球拾いばかりだったから、すぐにやめてしまったの。楽しかったのは英語の授業。先生が大好きで、授業がある日は、前日から楽しみにしていました」

    青春を謳歌していた師範学校時代。しかし、戦争の影は、学生生活に色濃く影を落としていた。

    セーラー服は、布がたくさんいるからという理由で、私が入学した’42年から“へちま襟”の制服に変わりました。自由だった髪形も、1年生は二つ分けのおさげ、2年生は三つ編み、と厳しく決められて。大好きだった英語の先生は、出征してしまわれ、やがて、英語授業も『敵国の言葉だから』と廃止されました。でも、すべて“お国のため”と信じて疑いもしなかった……」

    天皇は神様で日本国民はその子ども。日本は特別な国なのだから、そのために命をささげるのは名誉なことだ、という“軍国教育”をたたき込まれ、島袋さんも“軍国少女”になっていたからだ。

    ’44年(昭和19年10月、那覇は大空襲を受け、焼け野原に。沖縄戦は、すぐそこまで迫っていた。

    「いよいよ敵が沖縄に上陸する。今日かぎりで学校は閉鎖するので看護要員として軍に協力せよ」

    ’45年(昭和20年3月23日、校長は、島袋さんら学生を一堂に集め、そう訓示を述べた。島袋さんは、師範学校3年生で17歳。すでに学校では、包帯の巻き方やギプスの当て方などを教わっていた。

    その夜、島袋さんを含む222人の女学生は、18人の教師に引率され、一晩かけて、歩いて南風原の沖縄陸軍病院に向かった。もんぺ姿で頭巾をかぶり、肩から救急カバンをかけた。

    「このときは、まだ戦争の本当の恐ろしさを知りませんでした。敵も病院には攻撃しないだろうし、1週間もすれば戻れるだろう、と。林間学校に行くみたいな気分で、『いよいよ国に奉仕ができる』と意気込んでいたんです」

    陸軍病院といっても、土を掘って作った壕の中に、ベッドを何台も並べただけの場所だった。

    「はじめは、水をくみに行ったり、おにぎりを配ったりするのが仕事でしたが、4月1日、米軍が沖縄本島に上陸してしばらくすると、血や泥だらけの負傷兵が、どんどん運ばれてきて、その看護に追われました」

    5月25日、米軍が迫ってきたので、さらに南に下れ、という命令が。民間人を犠牲にしても、時間を稼いで本土決戦を遅らせようという日本軍の戦略だった。

    「自力で歩けない患者は置き去りでした。青酸カリ入りのミルクが配られたという話も、戦後、生き残った兵士から聞きました」

    島袋さんらも壕を出て、敵の攻撃をくぐり抜けて、沖縄本島の南にある伊原第一外科壕に移った。現在のひめゆり平和祈念資料館から歩いて5~6分の距離だ。

    6月17日、島袋さんらがいる伊原第一外科壕の入口に大きな爆弾が落とされた。島袋さんは、食料調達のため外に出ていて免れたが、壕の中にいた学友の多くが犠牲になった。

    「昨日まで一緒に働いていた学友の一人が、おなかをやられて腸が飛び出していました。みー、みー、と言って水を欲しがって……。先輩が、ガーゼに浸した水をあげたら、しばらくして『天皇陛下万歳』と言って亡くなったんです。当時の教育の力なんですね」

    6月18日アメリカ軍が間近に迫り、ひめゆり学徒隊に解散命令が下った。壕から追い出された女学生にとって、ここからが本当の地獄だった。

    「重傷で歩けない人は置いていくから、君たちは黙って出ていけ。軍から、そう言われました。友達がいるから残りますと言っても、ダメだと言われて……。歩けない友達は、『どこ行くの? 行かないで』と言っていました。だからウソをついたんです。『本部から集合命令が出たから行ってくるね』って」

    島袋さんらは、動けない学友のために、水筒にありったけの水を入れ、枕元に置いて数人の友達とともに壕を出た。

    雨のように降り注ぐ砲弾から逃げまどっているうちに、島袋さんも米軍の砲弾で手足を負傷。もう逃げられないと思った島袋さんは、同じようにケガを負った学友と2人で、手投げ用の小型爆弾“手榴弾”で自決を試みる。「捕虜になるくらいなら自決せよ」と教えられていたからだ。

    「友達と私の間に手榴弾を置いて爆発させるつもりでした。でも、もう手榴弾が爆発する、となった瞬間、私は怖くなって、わぁっと放り投げてしまったんです」

    生き延びた島袋さんは、6月26日、米軍の捕虜となる。

    「捕虜になったのは自分たちだけ。情けない、と思っていました。だから、米兵に名前を聞かれたら、『死ぬことなんか怖くない、私を殺せ!』と抵抗したんです。バカでした。軍国少女だったんです」

    6月23日に、日本軍司令官の牛島満中将の自決によって終結した沖縄戦。犠牲となった県民の数は20万人ともいわれ、4人に1人が亡くなった。

    戦後、島袋さんは改めて教師を養成する文教学校に通い、’46年4月、中学校の先生になった。教師として子どもたちに接するなかで、島袋さんが常に肝に銘じていたことがある。それは、「間違っていることは間違っている。正しいことは正しい」と、言える人に育てよう、ということだった。

    「私たちは、どんなことがあっても日本は勝つと教えられ、そこに疑問を持つことも許されませんでした。教育って、恐ろしいものなんです」

    島袋さんは、その後、結婚・出産を経ても教師の仕事を辞めることはなかった。しかも、その間、自らの戦争体験を、生徒に語ったことはない。

    「長い間、自分の子どもにも、辛くて話せなかった。亡くなった友達が、よく夢に出てきました。『あんたたち、どこに行っていたのよ! 捜したのよ!』と、言おうとして言葉にならず、声を出して家族によく起こされました」

    心の傷を抱えながら生きていた島袋さん。転機が訪れたのは、戦後37年たった’82年のことだ。

    師範学校女子部と第一高女の卒業生でつくる“ひめゆり同窓会”で、資料館を作ろうという計画が持ち上がったのだ。戦後生まれの人が増え、戦争の記憶も風化し始めたことに危機感を感じてのことだった。

    同級生たちは、街頭に立って募金を集めたり、講演で協力を呼びかけたりして、約2億円の寄付を集めた。自ら寄付をした同窓生も続出した。資料館の敷地の購入から、壕に入っての遺品集め、そして運営まで、すべて元ひめゆり学徒の手によって行われた。

    ’89年6月23日、ひめゆり平和祈念資料館が開館する日。島袋さんらは気が気ではなかった。

    「ご遺族に、『なんであんたたちだけ生き残ったのか』と、責められるのではないか。消息がわからない人のことを聞かれたら、なんて答えたらいいんだろう、って」

    元学徒隊のメンバーとは、「あるがままに話すしかないさー」と、事前に相談し合ったという。

    「でも、実際に開館したら『あなたたちが生きてくれたから、資料館ができたのよ。ありがとう』と言ってくださって。それでやっと、私たちは生きていていいんだと思えるようになったんです。戦争の夢を見ることも少なくなりました」

    資料館が開館してからは、元学徒隊が毎日交代で3人ずつ資料館に通い、“証言員”として説明にあたった。

    しかし、年月とともに証言員は減っていき、現在残っているのは、島袋さんを含めた6人。’15年からは、この6人の負担を減らすため、体験を語る回数を減らしている。資料館で島袋さんが証言に立つのは、月に2回だ。

    《自分たちの味方でさえも見殺しにする、それが戦争です。私自身も、目の前に転がっている死体をまたいで水をくみに行きました。よけようとして回り道すると、弾が飛んできて当たるかもしれないからです。戦争は、人間を人間でなくします。だから、みなさんは、戦争は絶対ダメ! と言える大人になってください》

    子どもたちを前にすると、島袋さんの口調は、自然に熱を帯びていく。

    学徒隊の生き残りが少なくなっていくなかで、こうした貴重な体験を、次世代にどう伝えていくのか。

    「いま説明員を務める方々は、学生時代から戦争と平和について研究を続け、卒業したらここで働きたいと思ってくれた。それは本当にありがたいことです。私以上に戦争について研究してくれているので心強いと感じています。戦前のことを思うと、私はただ国の言うことを信じていましたので、反省するんです。だからこそ、今度、平和憲法が変えられたりして戦争の準備が始まったら、そのときは、私は牢に入れられても、ダメだと言い続けます。それが、戦争を体験した者の責任です」



    (出典 news.nicovideo.jp)


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    5分あたりからどうぞ。ユーチューブで人気の柴犬の小春ちゃんに久々の「早食い防止皿」でご飯をあげたときの反応が可愛いと話題になっています。ご飯をもらった小春ちゃんは、聞いたことの無いような悲しい声を上げます。しかし、「よし!」の掛け声とともに食べ始めると、思ったより自然に、苦労なく食べ始めました^^

    動画には「小春:何なのこれー!」「嫁と喧嘩して全く一緒のこの皿でカレー出された事を思い出した」「我が家でもこの皿使ってたら、ある日からひっくり返して食べるようになった。賢い」などのコメントが寄せられています。

    筆者の実家でもこのお皿を使っていますが、慣れると「ひっくり返す」というチートを覚えてしまうのが難点です^^;

    【動画はこちら】

    「何なのこれー!」柴犬に「早食い防止皿」でエサをあげたら、聞いたことの無いような悲しい声を出したと話題に


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    【動画はこちら】

    前方からサイレンを鳴らしてやってきた救急車。すると、同じタイミングで女性が横断歩道を渡ろうとしてきます。立ち止まって救急車を先に行かせるのかと思いきや、我先にと救急車の前を横断します。

    道路交通法では救急車よりも歩行者が優先されますが、緊急自動車の妨害を行った場合は道路交通法ではなく、公務執行妨害で逮捕される場合があります。

    そもそも、この女性は横断歩道を通らないで斜め横断していますが。。

    何にせよ、緊急車両に道を譲るのは最低限のモラルのように思います。

    【動画はこちら】

    緊急走行中の救急車。歩行者の女性の自己中な行動がひどすぎると物議!しかし道交法上は歩行者優先


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    母の実家に跡取りがおらず、「断絶」になっているのですが、母の旧姓を名乗れますかーー。そんな相談が弁護士ドットコムにありました。

    相談者は未婚で、すでに母方の祖父母は亡くなっています。存命なのは母と叔母だけですが、いずれも結婚して姓が変わっているので、母方の実家の名字を名乗る縁者が一人もいない状況だといいます。

    相談者のように「家名を残す」ために、「無くなった」姓(氏)に変更することはできるのでしょうか。萱垣建弁護士に解説してもらいました。

    「家名を継ぐ」は「やむをえない事由」と言えるか?

    氏を変更するには、住所地の家庭裁判所に、申立書・戸籍謄本等を提出して、その裁判所の許可が必要です。

    裁判所が許可しても良いと判断した場合には、変更を許可する審判書を出してくれます。その後、その審判書を役所に持参して変更手続きをすることになります。

    ところで、氏の変更の申立書には、変更理由を書かなければなりません。

    戸籍法第107条第1項は、「やむを得ない事由によって氏を変更しようとするときは、戸籍の筆頭に記載した者及びその配偶者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない」と規定していますので、「やむをえない事由」であることが必要です。

    では、「お家断絶」の旧家で、家名を残すため母の旧姓を継ぎたいことが「やむを得ない事由」にあたるかどうかですが、残念ながら、当たらないと判断される可能性が高いです。

    というのは、氏名が変わらないことによる利益を国や多くの人が受けていますので、「正当な事由」とはこれを犠牲にしても良いというほどの高度の客観的な必要性があるときを意味すると考えられています。ところが現在、家督相続はなくなり、家系が大切だという考え方を法律はしていません。

    どうしても変えたいときは「母が離婚」・・・

    従って、母の旧姓を名乗りたいのでしたら、旧姓を持つ親族と養子縁組することになります。

    また、そのような親族がいない場合は、(1)相談者の母親が離婚し、別戸籍をつくって旧姓を名乗る、(2)相談者が、家庭裁判所に氏の変更の申し立てをして許可をもらい、母親の戸籍に入る、という手順で氏を変えることが考えられます。

    この場合、裁判所は氏の変更を認めてくれると思います。ただ、そこまでして氏を変えるのか、一度よく検討してください。

    【取材協力弁護士
    萱垣 建(かやがき・たてる)弁護士
    平成5年登録。弁護士経験25年以上。平成23年愛知県弁護士副会長愛知県弁護士会及び中部弁護士会連合会の委員会の委員長、日本弁護士連合会の委員会の副委員長を経験。わかりやすく、疑問が残らないように説明することがモットー。
    事務所名:万朶総合法律事務所

    跡取りおらず「お家断絶」の旧家、名字残すため「母の旧姓」に変更できる?


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