「今度また飲みにでも行きましょう」僕はこのセリフがあまり好きではありません。
なぜならこの約束は守られないことが多いからです。だから、いつも聞かなかったフリをしてしまいますし、信用しません。

大人になって、さも「大人」という顔をして社交辞令を使う人が増えました。
しかしその社交辞令に気づかずに、後から傷ついたり、モヤモヤする機会も多いのではないでしょうか。

そもそも「社交辞令」って、どういうもの?

社交辞令とは、コミュニケーションを円滑に進めていく中で、場の雰囲気を良くするために発言する言葉のことです。

場の雰囲気を良くするための言葉なので、実際は思っていないことでも発言することになります。
つまり多くの社交辞令は「ウソ」をつくということになりますが、社交辞令であれば好き放題にウソをついていいということではありません。

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「良い社交辞令」とは明るくて軽いもの

ウソは社会的に良くないものとされています。なぜかというと、ウソをつくことによって人を裏切り、信頼をなくしてしまうからです。

しかし、それはどう考えてもバレてしまったり、人に迷惑をかけてしまうようなウソの場合に限った話でもあります。つまり、バレることがなく、人に迷惑をかけないウソなら社交辞令として使用できるのです。たとえば、以下のような小さなウソです。

・天気に興味がないのに「晴れてきましたね」と話す
・相手の髪型に興味がないのに「髪型可愛いね」と話す
・相手の話がつまらないのにオチと思えば笑う
・そこまで楽しくないのに楽しいと言う など

肝心なのは「ウソをつくこと」ではありません。

「あなたと和やかにお話がしたいと思っています」という気持ちを示すことです。
このような社交辞令を上手に使って信頼関係を築き上げ、ゆくゆくはこんな社交辞令が要らない間柄になれるといいですよね。

社交辞令の基本は「ウソだとバレない」ことです。一度、小さなウソをついたら貫き通しましょう。そうすれば、社会的には本心なのです。貫き通せない社交辞令は言ってはいけません。

だからこそ、社交辞令の内容と言うのは「ウソか本当かはどちらでもいいな」と思えるくらい、軽い話題がいいのです。

「悪い社交辞令」とは人を裏切るもの

社交辞令とは人を嬉しい気持ちにするものでなければならず、人を悲しませるものであってはなりません。
社交辞令は「ウソ」であることが多いのですが、その「ウソ」が原因で人を裏切ることがあってはいけないのです。

「ウソなのに裏切っちゃいけない」と言うと矛盾を感じるかもしれませんが、矛盾があるからこそ、社交辞令とは「大人なコミュニケーション」だと言えます。

例えば、社交辞令で具体的な約束をしてはいけません。

「今度、一緒に〇〇の映画を観に行きましょう」
「今度、〇〇をごちそうしますよ」
「今度、〇〇さんをご紹介しますよ」
「今度、2人で〇〇に遊びに行きましょう」

こんなことを社交辞令としてペラペラ話してしまう人は、大人だとは言えません。
これらのウソは貫き通すことができず、最終的にウソだとバレてしまうからです。
ウソだとバレた瞬間、社交辞令は「社交辞令」ではなく、単なる「ウソ」になります。

このようなウソで「あれは社交辞令だったのか」と傷ついたり、モヤモヤする人が多くいます。しかしこれは社交辞令ではなく、ただの「下手なウソ」なのです。
「下手なウソ」と「社交辞令」は似ていますが、明確に違います
大人であれば、そこは分かっておいてほしいものです。

逆に周囲の下手な社交辞令をうまく活用して信頼を得る

世の中にはこのような、ウソと社交辞令の違いを分かっていない大人がたくさんいます。
この風潮をうまく使えば、逆に社交辞令で人から信頼を得ることができるのです。

例えば初対面の人に「今度お店を紹介します」と言ったのであれば、確実に紹介してください。「社交辞令かと思ったら、本当にやってくれた。誠実な人だ」と、一目置かれるようになります。
それに限らず、雑談で具体的に盛り上がった内容などは確実に実行に移しましょう。

逆に実行に移さなければ、社交辞令のつもりはなかったのに、「やっぱり社交辞令だったのか」とも思われてしまうこともあるのです。

そうしたことを積み重ねていくだけで、ほかの人と差をつけることができるので、この風潮を逆に活用するとよいでしょう。

社交辞令は付き合い方が重要

社交辞令は上手に使えば、くだらないことで険悪なことになりませんし、相手に安心感を与えるコミュニケーションツールになるでしょう。

社交辞令は悪」とみなされることも多いと思いますが、正しく言えば「下手な社交辞令が悪」なのです。どんな時でも人を裏切ってしまっては、コミュニケーションでもなんでもありません。
社交辞令はうまく活用し、信頼を得られる大人を目指したいですね。



(出典 news.nicovideo.jp)


(出典 static.curazy.com)



<このニュースへのネットの反応>

なんていうか、面倒くさい人生歩んでるんだな。


その違いが分からん人に説明しても無理ちゃう?


いや、嘘から始まった関係が社交辞令のいらない関係になるわけないやん


何でもするから許してください。


昔から社交辞令を言われるのが嫌いだと散々思っていたんだけど、後者みたいなのが大半を占めていたからか。前者みたいなのだったら確かに悪い気はしないね。


一面的に物を見すぎというか、嘘でも場を円滑にするんなら別に問題ないんだよ。相手が趣味の話を振ってきてるのに興味がない答えを*正直に返したら会話が続かないから、事前に多少でも話ができる程度に調べて興味があるフリをする、或いは似合ってなくても相手が自慢したがってるものをあえて似合ってると褒める、そういうのも社交辞令。


でも、女は俺の言葉を信用しないし、誘っても「ごめんなさい」しか言わないからね。モヤモヤするのも嘘だと決めつけるその己の弱さを認めないのも孤立するのもすべて自業自得でしょ。


つまらないのにわざとらしく笑ったり、逆の感想を言うのは良い社交辞令なのだろうか。二度と会わない相手なら小*にしても問題ないのかもしれないが。まあ空手形を切るよりはましか


まぁあれだ、「空気を読む」ってやつだね。分からん奴も嫌いな奴も居るだろうけど、ビジネスの関係なんて、誰が何と言おうと、これが出来ないと成り立たないからな。社内だけの関係なら、多少疎くても大丈夫だとは思うけど。


いい歳して社交辞令も理解できない様なのは上の世代からも下の世代からも漏れなく指さされるヤツなのでそうならないように頑張りな。雑談に過ぎないんだからとりあえずの情報として頭に入れておく程度でいいんだよ。その場でいちいち吟味しようとするからいつまで経っても仕訳が終わらず、どうでもいいようなコトをいつまでも引きずるハメになるんだ。


鵜呑みにしすぎるから、裏切られたって気持ちになるんでしょ...


社交辞令として解りやすいのは、お笑いの席などでの「おやくそく」で笑う事かな。本心からではないが嘘でもないし、それでその場の周囲が楽しくなれるならお安い御用、ってわけだ。


下手なウソと言うか遠回しに言っているだけでむしろそこら辺は大人なんだから理解しろよとしか言えないな


行けたら行きます


言質を取られて困るようなこと言わなきゃいい


親密になる必要のない相手とうわべの付き合いで上手くやっていくのが社交辞令よ?これができない子は誰とでもすぐ仲良くなりたがるくせにすぐケンカするわね。


社交辞令もウソはウソ… 自分はダメだわ、言うのも言われるのも


社交辞令=距離を一定に保つ 下手な社交辞令=ひんしゅくを買い、嫌われる


そうだね。よくわかるよ


いや、今度(機会があれば)飲みに行きましょうとかは社交辞令の一環だと思う。今後も付き合いを続けたいですよというポジティブな言い回しじゃないか? 社交辞令って嘘を嘘だと双方が承知の上で言うことじゃないの? むしろ例文の4つは雑談と悪意のある嘘じゃないか。


【それな・ウケる・カワイイ】


別に大して親しくも無い人と、日程を決めない適当な口約束してる時点で全部社交辞令でしょう…褒めたり話合わせたりは事を円滑に進めるために当たり前。どうしてもその人と一緒にどこか行きたいなら自分から日程調整提案くらいして、どうぞ。


この人がが円滑なコミュニケーションを送れない人だってのはよく伝わったよ


「社交辞令」ってのは基本「おことわり」されてる時だからさ。下手すると「下手なウソ」の方が分かりやすいのでその方がありがたい時もあるな。


A「今度、一緒にあのお店行きましょう!(行くとは言っていない)」 B「ええ、是非行きましょう!(行くとは言っていない)」